トヨタWRC3 【1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995】

セリカGT-FOURによるドライバー&メイクスチャンピオン獲得!

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グループAマシン、セリカGT-FOUR参戦

 1987年からスタートした市販車ベースのグループAマシンによるWRC(世界ラリー選手権)に備え、トヨタは1986年からマシンの開発に着手する。トヨタ初の本格4WDマシン、セリカGT-FOURである。市販バージョンのGT-FOURは1986年10月にデビューし、グループAのホモロゲーション取得に必要な5000台を生産。WRCマシンは1988年のツールド・コルスから参戦を開始する。ドライバーはワルデガルド選手、カンクネン選手と、VWワークスからトヨタに移籍したエリクソン選手の3名。結果はエリクソン選手が6位に入賞する。その後のアクロポリスや1000湖では駆動系やエンジンにトラブルが発生し、その対策に追われた。ニューマシンにとってトラブル発生は、いわば当たり前。チームにとって予想された事態と言えた。マシンの熟成は順調に進み、最終RACラリーではワルデガルド選手が3位に食い込む。

 翌1989年シーズンはフォード・チームからサインツ選手が加わり4名がセリカのステアリングを握る。さらに1月のモンテカルロを皮切りにWRC全戦に参戦する体制となった。
 セリカの強さが明確になったのは中盤戦以降。1000湖でカンクネン選手が3位、エリクソン選手が4位に入り、続くラリー・オーストラリアではカンクネン選手が優勝、2位にエリクソン選手が食い込んだ。最終戦RACラリーでは、最後まで三菱チームのアイリッカラ選手とサインツ選手が優勝争いを繰り広げた。最終的にセリカは2位に終わったが、その速さはセリカがWRCのトップコンテンダーに成長したことを証明していた。

セリカでサインツ選手がドライバーズチャンプに輝く

 1990年はセリカの年になる。緒戦モンテカルロではランチアとの熾烈なバトルの末、サインツ選手が2位に入賞。第4戦サファリではワルデガルド選手が優勝。さらに3位にエリクソン選手、4位にサインツ選手が入った。以後サインツ選手のドライビングが冴え、ツールド・コルスで2位、ニュージーランドは優勝、アルゼンチンは2位、1000湖でも優勝。サンレモで3位、そして仕上げの最終戦のRACラリーで優勝を飾る。この結果、サインツ選手はスペイン人初のドライバーズチャンピオンに輝いた。またセリカは日本車で初のドライバーズチャンピオンを支えたマシンとなった。

 1991年も快進撃は続いた。ドライバーはサインツ選手、シュバルツ選手、エリクソン選手の3名を基本に、サファリにはワルデガルド選手も起用する体制を敷く。
 緒戦のモンテカルロは、サインツ選手、ランチアのオリオール選手、フォードのデルクール選手が熾烈なトップ争いを繰り広げ、最終ステージでサインツ選手がデルクール選手を逆転、劇的な優勝を飾った。さらに第3戦ポルトガル、第5戦ツールド・コルス、第7戦ニュージーランド、第8戦アルゼンチンを制し、サインツ選手はシリーズの山場を前に5勝を挙げ、セリカの圧倒的な速さを世界に見せつける。2年連続のドライバーズチャンピオンを確定させたかに見えたサインツ選手。だが好事魔多し、その後勝利の女神に見放され、年間順位は2位。ランチアに移籍したカンクネン選手にチャンピオンを奪われた。

1993年、念願のダブルタイトルを手中に!

 1992年はマシンを新型ST185型に切り替えて挑戦。新型マシンのベースはWRC参戦を前提に開発されたGT-FOUR・RC(欧州市場名称はカルロス・サインツ・エディション)で、エンジンルーム内の冷却効率を向上させるなど、各部に“勝利のための改良”が盛り込まれていた。

 新型マシンの戦闘力は高かった。モンテカルロでサインツ選手が2位に食い込み、スウェディッシュは地元参戦のヨンソン選手が優勝、サファリではサインツ選手が優勝を飾る。だが中盤戦は不運に見舞われ、優勝から見放される。再び勝利が巡ってきたのは第7戦ニュージーランド以降。サインツ選手はニュージーランドで優勝するとカタルニアとRACでも勝利を収め、2度目のドライバーズチャンピオンを獲得する。

 WRC最強マシンの1台に成長したセリカ。トヨタはいよいよドライバーズチャンピオンだけでなく、メイクスチャンピオンの獲得に本腰を入れるようになる。1993年シーズンはサインツ選手がトヨタを去ったが、優勝を狙えるカンクネン選手がトヨタに戻り、さらに名手オリオール選手を擁する最強の布陣を整える。

 緒戦のモンテカルロはオリオール選手、第2戦スウェディッシュは地元のヨンソン選手、第4戦サファリはカンクネン選手、第7戦アルゼンチン、第9戦1000湖、続く第10戦オーストラリアもカンクネン選手が制した。カンクネン選手とセリカの速さは圧倒的で、第12戦カタルニアで3位、最終RACラリーでも優勝を飾り、自身のドライバーズチャンピオンと、メイクスチャンピオンの2冠をトヨタにプレゼントした。

 翌1994年も絶好調。今度はオリオール選手がドライバーズチャンピオンに輝き、トヨタはメイクスチャンピオンも2年連続で獲得した。
 WRC最強の座を確立したトヨタ。しかし1995年シーズンでレギュレーション違反が発覚。シーズン全ポイントの剥奪と、1996年シーズンの参戦禁止という厳しい処分によりWRCシーズンからの一時撤退を余儀なくされた。トヨタのWRC参戦は1994年半ばでひとまず幕が引かれた。