日本の有料道路01 【1923〜1963】

受益者負担が促進した日本の道路整備

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1956年、ワトキンス・レポート発表

「日本の道路は信じがたいほど悪い。世界の工業国でこれほど完全に道路網を無視してきた国は日本をおいてほかにはない」1956年8 月にワトキンスを団長とする名古屋~神戸間高速自動車道路米国調査団(通称ワトキンス調査団)より作成された調査報告書、通称“ワトキンス・レポート”の一文である。このレポートが後に日本の道路政策の出発点とされ、戦後の本格的な道路整備がスタートする。

日本の道路整備は受益者負担が出発点

 確かに1950年代後半まで、日本の道路事情は劣悪だった。国道とはいえ、舗装されていないのが一般的。雨が降るとすぐにぬかるみ、通行に支障をきたすのは日常茶飯だった。戦前からの鉄道優先政策、自動車普及の遅れ、住民の道路に対する偏見など、原因はさまざまだったが、とにかく諸外国と比較し20年近く遅れを取っていたのは紛れもない事実だった。

 立ち遅れを早急に取り戻す方法として、日本は通行料金を受益者に負担させる有料道路システムを積極的に導入する。膨大な建設&管理資金をユーザーに負担させることで目処をつけ、とにかく道路整備を急いだのである。このことが後年、数々の矛盾を日本の道路にもたらすのだが、有料道路は日本の道路整備を促した。

有料道路が人と物の流れを活性化

 ちなみに日本で最も古い有料道路の記録は、1923(大正13)年6月に高野山参拝自動車株式会社が建設した全長6.4kmの道路で、幅員2間半(約4.5m)、建設費13万円となっている。高野山以外にも戦前には、箱根、六甲、鎌倉などにも有料道路が建設されたが、いずれも富裕層の奥座敷として栄えた観光地が中心だった。戦前の有料道路はあくまで観光用だったのである。

 しかしワトキンス・レポート以降は、官公庁や地方の道路局、各種の道路関係公団が経営主体となり、生活に直接的なメリットをもたらす有料道路を作り出す。交通の難所を避ける大型トンネルや、島と本土を結ぶ橋などが続々と建設され、各地の生活や物流シーンを一変させる。有料道路は、各地方の文化や特産物を日本全国に紹介する役目も担っていた。いくつかの代表的な有料道路を紹介しよう。

「日光道路」
1954年10月開通。当初は対面交互通行だったが、1965年10月に上り専用の第二区間が完成。当初の日光道路は下り専用となった。通称“いろは坂”。秋の紅葉シーズンには全線渋滞となることも珍しくない。

「幕之内トンネル」
954年12月開通。広島県安佐北区、幕之内峠の下を貫く全長5457mのトンネル。現在は国道191号線の一部で、国道186号線の短縮路。急峻な峠道を走らなくてよくなったため住民の生活向上に大いに役立った。旧日本道路公団管轄の4番目に古い有料道路だった。1969年4月無料開放。

「芦ノ湖スカイライン」
1962年本線開通。神奈川県と静岡県にまたがる一般自動車道。神奈川県箱根町箱根峠付近の国道1号から、同町の芦ノ湖北岸(湖尻水門)付近に至る延長10.7kmの観光有料道路。藤田観光株式会社により建設され、現在は芦ノ湖スカイライン株式会社により経営が行われている。箱根を代表する観光道路のひとつ。

「京葉道路」06
1960年4月一部開通。交通量が増大する京葉工業地帯に建設された大動脈。写真は原木インター付近で、1964年に撮影。現在は車線が3レーンに拡幅され、ランプウェーも増設されているが、交通量の増大に追いつかず慢性的な渋滞は解消されていない。