ミュー・ウィザード 【1995,1996,1997,1998】

“魔法使い”のサブネームを付けたミューの4ドアモデル



4ドア版ミューの設定の背景

 乗用車の自社開発および生産を1992年に中止し、以後は一般ユーザーに対してビッグホーンやミューを中心とする“SUVスペシャリスト”を標榜するようになったいすゞ自動車。一方で1990年代初頭の同社のSUVラインアップには、ちょっとした不具合が生じていた。1991年12月デビューの2代目ビッグホーンが従来型より上級化したため、カジュアル志向である既存のミューとの間に大きなギャップができてしまったのである。ビッグホーンとミューの隙間を埋める中間SUVを早急に設定しないと、急拡大する日本のクロスカントリー4WD市場での拡販は望めない……。SUVスペシャリストを名乗るいすゞにとって、これは非常に大きな克服課題となった。

 当初、いすゞの商品企画部門はSIA(スバル いすゞ オートモーティブINC.)で生産するSUVの「ロデオ」4ドアモデルを右ハンドル化し、日本に輸入して販売する計画を立てる。いわゆる“グローバル工順”だ。これは車両の生産を世界規模で捉え、メインマーケットとなる地域の生産拠点で専用モデルを製造し、少量需要地域へは主要生産拠点から出荷する生産分担および相互補完体制のことで、1980年代に発生した貿易摩擦への対応から生まれた国際協調プログラムでもあった。またグローバル工順は、船便の空荷を効率的に少なくする効果も併せ持っていた。

新設ZIPカープロジェクトが開発を担当

 ロデオの右ハンドルモデルの設定を検討する商品企画部スタッフ。しかし、マーケティングやセールスなどからは疑問の声が上がる。「日本で人気のあるSUVはディーゼルエンジン搭載車で、V6ガソリンを積むロデオでは不足がある」。さらに「乗り心地の面で、ロデオの半楕円リーフサスペンション(リア)だとライバルに対抗できない」といった苦言だった。

 部署を横断したいすゞ社内での様々な検討の結果、新しいSUVの企画は新設の“ZIPカープロジェクト”に任せることが決定される。このプロジェクトは個性的で斬新なクルマを先行して企画する少数精鋭の部隊で、スタッフは各開発セクションから選ばれていた。ちなみに当時のいすゞスタッフによると、プロジェクト設置の背景には「開発現場の“士気”向上があった」という。「古くはベレットや117クーペ、80年代ではジェミニやピアッツァなど、当時のいすゞの現場では玄人好みのクルマ開発に憧れて入社した人が非常に多かった。そんな人たちにとって、ビッグホーンやミューの開発だけでは決して満足できなかった。このままでは、いすゞが培ってきたクルマ造りの伝統が失われてしまう−−。危惧を抱いた技術担当の首脳陣は、結果として個性的なクルマを企画するプロジェクトを立ち上げることとした」のだ。

“ウィザード”のサブネームを付けて市場デビュー

 ZIPカープロジェクトのスタッフは、既存のメカニズムを有効に使いながら新しいSUVを仕立てていく。スタイリングはアメリカンSUV然とした4ドア仕様のロデオを基本的に踏襲。インパネ類は2ドア版ミューと共通仕様とし、ハンドル位置は右に設定する。エンジンはビッグホーン用の4JG2型3059cc直4渦流室式ディーゼルターボからインタークーラーを省いて搭載し、パワー&トルクは120ps/27.5kg・mを発揮。サスペンションにはビッグホーン・ロングと同形式の前ダブルウィッシュボーン/後4リンクを専用セッティングで組み込んだ。

 いすゞの新SUVは第31回東京モーターショーに参考出品された後、1995年12月に市場デビューを果たす。車名は「ミュー・ウィザード」。ウィザードは英語で“魔法使い”や“名手”を意味した。車種展開は上級仕様のタイプXと標準モデルのタイプEという2グレードをラインアップ。生産に関しては、神奈川県の藤沢工場が担当した。

マイナーチェンジでエンジン性能を向上

 アメリカンSUVを体現する伸びやかなルックスにロングホイールベースによる大らかな乗り心地、さらに広くて使いやすい室内空間などで好評を博したミュー・ウィザードは、1997年5月になるとマイナーチェンジを実施する。最大の変更ポイントは燃料噴射装置の電子制御化と燃焼工程の見直しで、これにより出力アップ(+5ps/1.5kg・m)と排出ガスのクリーン化を成し遂げた。また、ステアリングユニットの見直しによる据え切り時の操舵力軽減や4速ATのロックアップ領域の拡大なども実施される。

 本格派のアメリカンSUVとしてファンから熱い支持を集めたミュー・ウィザード。その商品コンセプトは2代目にも着実に引き継がれ、いっそう進化した4ドアワゴンが1998年6月に「ウィザード」の単独ネームで発表されることとなるのである。