日本モータースポーツの歴史04 【1983〜1994】

F1とGT、長く続く人気カテゴリーの定着



鈴鹿にF1サウンドが轟いた日

 1987年10月29日、三重県・鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開幕、10年ぶりにF1が日本に戻ってきた。1968年を最後にF1から離れていたホンダは、1984年からウィリアムズに直4・1.5リッター・ターボを供給するエンジンサプライヤーとして本格復帰していた。

 パワーを上げるとトラブルを発生、そのトラブルを解決しつつさらにパワーを引き上げるという、たゆみない努力で実力をつけ、1985年には早くもシリーズ制覇の原動力となっていた。ターボ・エンジンやテレメトリーシステムの導入で、ホンダはF1の世界を変えていった。

中嶋選手が日本人初フルタイムF1ドライバーに

 1987年からは、そのホンダ・エンジンを搭載する2番目のチームに名門ロータスが名乗りを上げた。ドライバーには国内トップカテゴリーで数々のタイトルを手にした中嶋悟選手が加入。日本人初のフルタイムF1ドライバーの誕生である。中嶋は天才的な走りを見せるアイルトン・セナ選手とコンビを組んだ。

 日本グランプリのタイトルスポンサーを務めるフジテレビがこの年の開幕戦からテレビ放映を始めると、中嶋を筆頭に、アラン・プロスト選手、ナイジェル・マンセル選手、ネルソン・ピケ選手といった個性豊かなドライバーの活躍がお茶の間に伝わった。F1中継は深夜の放映時間にもかかわらず高視聴率を記録。1990年代前半にかけて一大F1ブームが巻き起こった。

世界と直結したF3000カテゴリーの誕生

 国内レースの人気カテゴリーにも変化が現れた。F1直下のカテゴリーとしてヨーロッパを中心に一定の地位を獲得していたF2(排気量2000cc)が1984年限りで終了。F1エンジンの主力が1.5リッター・ターボに切り替わるのに伴い、それまでの主流だった3リッター・V8が宙に浮く格好になり、それを有効活用する意味合いから、1985年に排気量3000ccにスイッチ。シリーズ名称をF3000に改めた。F1が日本に再上陸した1987年からは、国内カテゴリーもヨーロッパに追随。全日本F3000選手権がスタートした。

 全日本F3000選手権は、複数のエンジンコンストラクター、チューナー、シャシーコンストラクター、タイヤメーカーが参加したため、本家をしのぐほど競争力が高まり、多くのヨーロッパの若手ドライバーが腕試しに海を渡ってやってきた。星野一義選手や松本恵二選手らのベテランドライバーが外国人ドライバーを受けて立つ一方、鈴木亜久里選手や片山右京選手など、のちにF1にステップアップするドライバーがしのぎを削った。

一世を風靡したグラチャンの終焉

 新たなカテゴリーが台頭する一方で、終焉を迎えるレースもあった。1970年代初頭から人気を誇っていた富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン)が1989年限りで終了。F2のシャシー&エンジンを流用するのが通例となっていたが、F2がF3000に移行するのに伴い、変更を余儀なくされたこと。また、全日本F3000の人気や全日本プロトタイプカー選手権(JSPC)の人気上昇がグラチャンの人気低下を招いた。

 しかし海外メーカー対国産メーカーの構図が人気に火を付けたJSPCも、その人気は長くは続かなかった。JSPCの母体となった世界スポーツカー選手権(SWC)は、排気量を無制限とする一方で、使用する燃料の総量を規制し、競技としての面白さを演出していた。ところが、1991年のルール改定でF1と共通の3.5リッター・エンジンの搭載が義務付けられると同時に、燃料規制を撤廃。走行距離の短縮化が図られ、競技の性格が一変した。

 その1年前、1990年に日産R90CPがポルシェ962Cに打ち勝って5年続いたポルシェの牙城を崩すと、破れたポルシェはシリーズから撤退。JSPCは日産対トヨタの構図で1992年まで続いたが、本家SWCの終焉と歩調を合わせるように消滅した。

華麗なるスカイライン神話の復活!!

 ツーリングカーのカテゴリーに目を向けると、FIAが定めるグループA規定による排気量別のシリーズ戦、全日本ツーリングカー選手権(JTC)が1985年からスタート。1990年にR32型スカイラインGT-Rが投入されると、人気が頂点に達する。GT-Rは全6戦でポールポジション獲得・優勝(チャンピオンは星野一義選手)という快挙を成し遂げ、箱スカ以来のスカイライン神話を復活させた。

 1994年、FIAの規定変更に合わせる形で、JTCは排気量2000cc以下、4ドアボディの全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にスイッチした。だが、グループAマシンの有効活用策として同じく1994年から本格的に始まった全日本GT選手権(JGTC)に自動車メーカーの力の入れ具合がシフトすることで1998年に消滅。国内トップカテゴリーのツーリングカー選手権は、ウェイトハンデ製の導入や大幅な改造規定など、日本独自のカテゴリーとして成長をしていくJGTCに一本化されることになった。

 1990年代半ば、フォーミュラ、ツーリングカーの国内トップカテゴリーは、現在まで続くトレンドの基礎が築かれつつあった。