ハイラックス・サーフ 【1984】

トヨタ製クロカンのヒット作

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1970年代末ごろから徐々に広がり始めた
日本のレクリエーショナルビークル・ブーム。
各自動車メーカーも、その流れに対応した
新型車を続々とリリースするようになる。
トヨタはピックアップのハイラックスを
ベースにした魅力的なSUVを開発した。
SUV開発の背景

 現在ではクルマのひとつのカテゴリーとして、すっかり定着した感のあるSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)。かつてはその駆動方式から「ヨンク」と呼ばれたSUVの開発は、70年代末ごろから流行の兆しを見せ始めたアウトドア・ブームに端を発する。郊外に出かけるための足として最適のクルマ──荷物がたくさん積めて、しかもその積み下ろしが楽なモデルを、多くのユーザーが求め始めたのだ。

 80年代に入ると、日本の自動車メーカーはアウトドア指向の本格的なクルマをリリースするようになる。参考にしたのはアウトドア先進国のアメリカのSUV。小型ピックアップのシャシーを使ってハードトップのボディを被せたその手法は、優れた走破性と高い利便性、そして低コストでクルマを仕上げるのに最適な方法だった。

慎重なスタート

 80年3月にダイハツ・タフトのOEM版となるブリザードをリリースして、小型SUVの市場に参入したトヨタは、やがて独自のSUVの開発を手掛け始める。ベース車は同社の小型ピックアップのハイラックス・ショートボディ。これにFRP製のルーフを被せ、さらにオーバーフェンダーや専用デカールなどを装着してスタイリッシュな外装に仕立てた。車名はベース車のネーミングを生かしてハイラックス・サーフと名づけた。搭載エンジンはユーザーの使用パターンや好みを配慮して、3Y-J型2リッターガソリン、2L型2.4リッターディーゼル、2L-T型2.4リッターディーゼルターボの3機種を用意した。

 84年5月、ハイラックス・サーフは市場デビューを果たす。その際の宣伝は非常に小規模で、大きなイベントも行われなかった。トヨタとしては、サーフが日本市場に受け入れられるかどうかの見極めがまだつかなかったのだろう。乗用車登録ではなく、4ナンバーの商用バンとしたことも、市場の動向を探っていた証といえる。

ラインナップの拡大

 ちょっと地味めにデビューしたサーフだったが、販売成績は堅調だった。メイン市場はアメリカで、全生産台数の7割前後はフォーランナーの車名で輸出に当てられたが、日本市場での人気も予想以上に高かった。ユーザーからは装備の充実やボディバリエーションの追加などの声が上がり、トヨタ側も徐々に車種ラインアップを増やしていく。

 86年8月には、ついに5ナンバー乗用車登録のワゴンが設定された。グレード名はその後も続くSSRリミテッドのネーミングが採用され、レジントップのルーフに2列5名乗りの上質なシートが組み込まれる。さらに電子制御式の4速ATや走行中にハイとローが切り替えられる4WDシステムも搭載されていた。

 サーフは特別仕様車の設定でも注目を集めた。87年9月にはアメリカンチックなツートンカラーを採用したワゴンSSRリミテッドを限定でリリース。88年4月にはブラックメタリックに塗装されたワゴンSSRリミテッドがやはり限定で販売された。

 日本のSUV市場で確固たる地位を築いたハイラックス・サーフは89年5月にフルモデルチェンジを実施し、より乗用車指向を強めたモデルに変身する。そして2代目は、RVブームのなかでパジェロとトップセールスを競うほどの人気モデルに成長していった。

COLUMN
メーカーごとの個性が表れた、初期モデルのSUVたち
日本のSUVの創成期は各自動車メーカーがまだ手探りの状態で、決まったクルマの形はなかった。その分、メーカーごとの個性が色濃く表現されていたといえる。サーフはベース車のハイラックスのイメージを強く残し、ピックアップを母体にしていることがひと目で理解できた。 いすゞのビッグホーンは、ピックアップのロデオのシャシーを使いながら、専用のボディを採用している。三菱のパジェロもビッグホーンの作り方に近く、既存のシャシーを改良して使用した。ユニークなのは日産のテラノで、ダットサンのフロントサスとサファリと同様のリアサスを組み合わせていた。ボディの基本デザインをアメリカのNDI(日産デザイン・インターナショナル)が担当したことも、他社とは違うアプローチだ。