コルト1500 【1965,1966,1967,1968】
先進エンジンを搭載した実直サルーン
1965年10月にデビューしたコルト1500は、コルト1000と、2リッターのフラッグシップサルーン、デボネアの広いラインアップの溝を埋めるミドル級サルーンだった。ライバルはトヨペット・コロナや、ダットサン・ブルーバードなどである。
1965年は、翌年に日産からサニー、トヨタからはカローラの本格大衆車の登場を控えていた。いわば日本のモータリーゼーション本格スタートの直前にあたる。ユーザーのクルマに対する意識は非常に高くなっており、購買意欲も旺盛だった。三菱がコルト1500を投入したのは、この時代の動きをキャッチしたからである。
コルト1500は新たなマーケットを開拓することを使命としたモデルではなく、すでに熟したマーケットニーズに応えたニューカマーだった。だが、このクルマには弱点があった。すべてを新規に開発したモデルではなかったのである。ベースはコルト1000。1500は、1000のボディを拡大し、新型エンジンを搭載したグレードアップ車だった。
具体的には1000のホイールベースを2285mmから2350mmに伸ばし、4灯式ヘッドランプを採用、リアランプも専用の横型形状にしたスタイリングのごくごくオーソドックスな4ドアサルーンだった。スタイリングのイメージはおとなしく、ライバルのコロナやブルーバードなどのような華やかなイメージは薄かった。しかもホイールベースが延長されていたとはいえ、格下の1000と印象がオーバーラップするのはマイナスといえた。
当時1500ccクラスは、一般オーナーが乗るクルマとしてはほぼ最上級に位置していた。それだけに憧れをくすぐるサムシングの有無が人気を左右した。コルト1500には、残念ながら上級サルーンのデボネアを想起させる雰囲気はなかった。スタイリングは直線基調。それなりにメッキパーツが豪華な印象を演出していたが、あくまで実質的なサルーンだったのである。
エンジンは上級車らしいこだわりに満ちていた。1500のエンジンは排気量1498ccの直列4気筒OHV。最高出力70ps/5000rpm、最大トルク11.5kg・m/3000rpmを発揮した。三菱独自のハイカムシャフト、オーバースクエアタイプで、スムーズな回転フィールと低速から高速まで太いトルクを生み出した。燃焼室は効率に優れたウェッジタイプ。排気マニホールドは、まるでスポーツカーのような独立ブランチ式を採用していた。走りはスポーティといえるレベルに達しており、トップスピードは楽々と140km/hをマークした。トランスミッションは3速マニュアルが標準。オプションでオーバードライブ式4速マニュアルと、ボルグワーナー社製オートマチックが選択できた。シフトレバーは当時の流行でコラム配置である。
足回りはフロントがウィッシュボーン式の独立タイプ、リアは半楕円リーフリジッドの組み合わせ。ステアリングは軽い力で操作できるボールナット式でギア比設定は17.53とシャープだった。
コルト1500は三菱の高い技術力を生かし耐久性とメンテナンスフリーを追求する。ボディは曲げやねじれに強く長期間の酷使に耐えるモノコック構造。メンテナンスフリーも積極的に追求しており、面倒なグリスアップは、ステアリングが9000km毎、サスペンション18000km毎、プロペラシャフトは永久に無給油としていた。ちなみにコルト1500の新車保証は12ヶ月、または18000km。当時の水準では十分に長いものだった。
室内は豪華な印象に仕上げられていた。メーターは当時のアメリカ車を彷彿させる横長形状でステアリングホイールはメッキ仕上げのホイールリング付き。上級版のデラックスではラジオ、ヒーター、時計が標準装備、オプションで専用設計のクーラーを装着することもできた。ホイールベースの延長により室内スペースは余裕が増しており、とくに後席の足元スペースが1000と比較して広くなっていた。シートは前後ともベンチシートが標準。クッション性に優れ、長距離ドライブでも快適にパッセンジャーをもてなした。
コルト1500は、三菱らしいまじめなサルーンと言えた。走りはクラス水準を抜いていた。ただし前述のようにスタイリングに個性が乏しく、上級イメージが希薄だったのはマイナスだった。販売成績はコロナやブルーバードと比較すると低調だった。だがその走りの良さから一部の信奉者を生み出した。デビュー翌年の1966年にはツインキャブ仕様の1500スポーツと、装備を厳選し価格を抑えた1500デラックスポピュレールを加え、ラインアップを充実させた。