バラードスポーツCR-X 【1983,1984,1985,1986,1987】
FFライトウエイトスポーツの登場
スポーツ指向が回帰する時期となった。
なかでもFFライトウエイトスポーツという
新ジャンルの市販車のデビューは、
クルマ好きに大きなインパクトを与えた。
1979年の第二次オイルショックを乗り切った本田技研は、1980年代初頭に入るとスポーツ・スピリットを前面に押し出した戦略を相次いで推進するようになる。モータースポーツの分野では1980年にホンダ製V6エンジンが欧州F2選手権に参戦し、翌年にはシリーズ・タイトルを獲得する。日本のF2選手権にも1981年から参戦した。1983年にはF1への復活も果たし、1984年シーズンの第9戦アメリカGPではウィリアムズ・ホンダを駆るケケ・ロズベルグ選手が早くも優勝の栄冠に輝く。
レースでの活躍に呼応するように、市販車もスポーツ性を打ち出したモデルがリリースされ始める。まず1982年9月にターボ過給器を備えたホットハッチのシティ・ターボがデビュー。同年11月にはリトラクタブルライトを配したロー&ワイドなプロポーションに、走りに関するハイテクを目一杯に盛り込んだ最新スペシャルティカーの2代目プレリュードが登場する。そして1983年6月、新しいスポーツカーのジャンルを標榜するバラードスポーツCR-Xがデビューした。
バラードスポーツCR-Xは、既存の4ドアセダンであり、シビックのベルノ店向けの兄弟車でもあった「バラード」の系列に属していた。しかしその開発コンセプトはまったく別物で、フロントエンジン&フロントドライブの軽量スポーツカー、すなわち「FFライトウエイトスポーツ」を名乗る。
コンポーネンツに関しても、既存のバラードは使用せずに次期シビック(3代目ワンダー・シビック。1983年9月デビュー)の主要部品をいち早く使っていた。ちなみに車名のCRは元々バラードのモデル表記だったが、CR-Xのデビューに際してはカー・ルネッサンス、またはシティ・ラナバウトの略に未知を意味するXを付けたと説明された。
バラードスポーツCR-Xの特徴は、何といってもコンパクトで軽量なボディにあった。MM思想(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)に基づいて開発されたボディは、+2スペースと割り切ったパッケージングに新開発の軽量素材を随所に採用し、1.3Lモデルで760〜785kg、1.5Lモデルでも800〜825kgの車両重量に抑える。低く抑えたボンネットやフラッシュサーフェイス化に貢献するセミリトラクタブルライトの採用なども注目を集めた。
メカニズム面では新開発の12バルブ・クロスフローエンジン、操縦性や回頭性を重視したトーションバー・ストラット式フロントサスペンション、路面追従性に優れるトレーリングリンク式リアビームサスペンションなどでスポーツ性を主張する。世界初採用となる電動アウタースライドサンルーフの設定も話題を呼んだ。
新種のスポーツモデルのデビューに、当時の走り屋は興味を示しながらも“?”の眼で見ていた。駆動と操舵を兼任するFFでスポーツできるのか……という疑問である。当時はスポーツモデルといえばフロントエンジン&リアドライブが常識だったのだ。スポーツ性を謳うFF車もあったが、コーナリング時はどうしてもアンダーステアが強く、FR車よりも外に膨らんで気持ちよく走れなかった。
走り屋のこうした疑念は、バラードスポーツCR-Xが峠で増え始めると徐々に払拭されていく。とにかくよく曲がり、しかも俊敏で速いのだ。とくに狭いワインディングでは2Lクラスのスポーツモデルをも凌ぐパフォーマンスを披露した。その結果、ついた渾名は“ゴキブリ”。小さなボディが俊敏にワインディングを駆け抜けていく様は、台所を縦横無尽に走り回るゴキブリを彷彿させたのである。
バラードスポーツCR-Xはデビュー後も次々と進化した。1984年11月には名機の誉れが高いZC型1.6L・DOHC16Vエンジンを搭載したSiグレードを追加。1985年9月には固定式ヘッドライトなどを装着してイメージの一新を図る。そして1987年9月にフルモデルチェンジを実施。CR-Xの単独ネームとなって、FFライトウエイトスポーツはさらなる極みへと達していったのである。