シーマ 【1988,1989,1990,1991】

社会現象ともなったハイソカーの頂点モデル

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さらなる高級車需要の高まり

 1980年代中盤から本格化し始めた日本の好景気、いわゆるバブル景気は自動車ユーザーの意識やニーズを大きく変えた。上級指向が急速に高まり、各メーカーのラグジュアリークラスのクルマに注目が集まるようになったのである。かつてはコンパクトカーからスタートした初心者のクルマ選びは、いきなり2.0Lクラス以上から始まることも珍しくなくなっていた。その結果生まれたのが“ハイソ(ハイソサエティ)カー・ブーム”で、各メーカーからリリースされる上級車、主に4ドアハードトップやクーペが販売台数を大いに伸ばしていた。

 R31型系スカイラインやC32型系ローレル、そしてY30型系セドリック/グロリアなどのモデルでハイソカー・ブームの一翼を担っていた日産自動車は、ここで新たな戦略を打ち出す。ユーザーの上級指向はさらに高まっていくに違いない。それに対応した新カテゴリーの本格3ナンバー高級車を早急に開発すべきだ−−。
 時間やコストの制限を踏まえて、新しい高級車には開発中のプラットフォームの流用を決断する。ベースとして選ばれたのは、次期型セドリック/グロリア(Y31型系)のシャシーだった。

最新技術の積極的な採用

 開発コード“FEP”と名づけられた新しい3ナンバー高級車の開発には、当時の日産の最新技術が目いっぱいに盛り込まれた。エンジンは2960cc・V6DOHC24Vのハイフローセラミックターボ付き(VG30DET)とNA(VG30DE)を設定。このパワーユニットにはNICS(ニッサン・インダクション・コントロール・システム)やNVCS(ニッサン・バルブタイミング・コントロール・システム)、NDIS(ニッサン・ダイレクト・イグニッション・システム)といった制御技術を組み込む。加えて、ターボ仕様は気筒別電子燃焼制御なども採用した。パワー&トルクはVG30DET型が255ps/35.0kg・m、VG30DE型が200ps/26.5kg・mを発生する。組み合わせるミッションは最新の電子制御式4速AT(E-AT)で、スノーモードも設定。サスペンションは基本的にセドリック/グロリアと同形式の前マクファーションストラット式/後セミトレーリングアーム式ながら、上級グレードには電子制御式エアサスペンションを奢った。

 スタイリングは、全長4890×全幅1770×全高1380〜1400mmのロング&ワイド&ローの4ドアハードトップボディを基本に、上質なメッキグリルとオーナメント、たっぷりとした張りのあるフード、サイドからリアまで続くボリューム感のある曲面ライン、バンパーに埋め込んだ楕円形のコーナリングランプ、新デザインのドアミラーなどを採用して独自の高級感を演出する。さらに、外板には表面が均質で鮮映性に優れたレーザーミラー鋼板などを使用した上で、最新の高品位塗装である4コート4ベーク(4層塗装・4層焼付)という多重工程を取り入れた。また、防錆性能をアップさせるために、新素材の亜鉛ニッケル合金メッキ鋼板や新開発の厚膜カチオン電着塗装なども導入する。

 インテリアも、外観に負けない高級感を創出する。シート表地は100%ウール素材で、運転席は全グレードともパワー調整機構付き。助手席もベーシックグレードを除いてパワー調整機構を装備する。オプションとして、運転席メモリー機能や後席ヒーターシートも用意した。エンターテインメント面での豊富なエクイップメントもアピールポイントで、上位グレードにはイコライザー&TVチューナー付きオーディオ+6スピーカー、リアコントロール、ヘッドホーンジャック&マイクロヘッドホーンを標準で装備する。また、JBLスピーカーやハンドフリー自動車電話、モイスチャーコントロールなどもオプションで選べた。

3ナンバー専用ボディでデビュー

 1987年10月、東京・晴海で行われる最後の東京モーターショーの舞台で、日産自動車は新しいカテゴリーの高級車を雛壇に乗せる。3ナンバー枠専用の4ドアハードトップボディを持ち、滑らかで張りのあるパネル面で構築したスタイリングは、既存のハイソカーにはない華やかさと存在感が見て取れた。会場を訪れた観客からは、「いつ発売されるのか?」「価格は?」「スペックや装備は?」といった問い合わせが多数寄せられたという。

 ショーデビューから3カ月ほどが経過した1988年1月、新種の3ナンバー高級車が市販に移される。車名はセドリック・シーマとグロリア・シーマ。ベースとなったモデルにスペイン語で“頂点、頂上”を意味するサブネームを付けていた。車種展開はVG30DET型エンジンを搭載したタイプIIリミテッドとタイプII・S、VG30DE型エンジンを積むタイプIIとタイプIをラインアップする。

 セドリック/グロリア・シーマは量産パーソナルカーとしては日本で初めて500万円台を超えた超高級車だった。しかし、時はバブル景気の絶頂期。既存のハイソカーでは飽き足らなかったユーザーにとってシーマは格好のターゲットとなり、販売台数は飛躍的に伸びていく。ディーラーには注文が殺到し、とくに最上級グレードのタイプIIリミテッドに人気が集中した。さらに、「付けられる装備は、すべて付けてくれ」という要望で注文していく客も大勢いた。
 月販目標台数1000台だったセドリック/グロリア・シーマは、メーカーの予想を超える販売成績を記録し続け、最初の1年間で3万6000台オーバーという高級車としては異例に多い登録台数を成し遂げる。マスコミ界ではシーマの爆発的な売れ行きに注目し、やがて「シーマ現象」というフレーズで3ナンバー高級車のブームを括るようになった。この言葉は、1988年度の流行語大賞で銅賞に輝く。

魅力を増したバリエーション拡充

 1989年8月になると、早くもマイナーチェンジが行われる。車種展開ではマルチAVシステムを装備したタイプIIリミテッドAVとタイプIの上級グレードとなるタイプIリミテッドを追加。また、エンジン&ミッションの統合制御となるDUET-EAやツインオリフィス式車速感応型電子制御パワーステの装備、ターボ軸受部のボールベアリング化、電動ガラスサンルーフやデジタルメーターの設定、ボディカラーおよび内装地の変更などを実施した。

 メーカーとしても予想をはるかに超える大ヒット作に昇華したセドリック/グロリア・シーマは、ベース車のセドリック/グロリアの全面改良から2カ月ほどが経過した1991年8月、単独ネームの「シーマ」となった2代目に移行する。搭載エンジンにVH41DE型(4130cc・V8DOHC)を採用し、内外装の高級感にも磨きをかけた2代目だったが、販売成績は伸び悩んだ。バブル景気の崩壊に加え、市場での人気車がハイソカーからクロカン4WDを筆頭とするレクリエーショナル・ビークル(RV)に移っていたのである。

 バブル景気を象徴するトピックのひとつとして今なお語られる「シーマ現象」。いい意味でも悪い意味でも、クルマの車種名がそのまま付く流行語は稀である。シーマの存在価値はクルマの出来そのものだけではなく、社会現象までも巻き起こしたことにあるのだ。