クラウン 【1971,1972,1973,1974】

前衛デザインをまとったフラッグシップ

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新しい高級車デザインの創造

 コロナとカローラの成功やトヨタ2000GTのリリースで、名実ともに日本トップの自動車メーカーに発展した1960年代後半のトヨタ自動車工業は、1970年代に入るとさらなる積極姿勢を見せる。1970年10月に国産初のスペシャルティカーとなるセリカを発売。同時に大衆車ユーザーの上級志向をとらえたカリーナを発表する。さらに工場の生産規模は拡大し、輸出台数も右肩上がりに増えていった。

 その最中の1971年2月、フラッグサルーンであるクラウンが第4世代の新型に切り替わる。そのスタイリングを見て、誰もが驚いた。従来とは大きく異なった、大胆なデザインを採用してきたからである。
 当時の開発スタッフは、未来の高級車にいかなるスタイルを持たすべきかを模索していた。これからのフラッグシップ&ラグジュアリーカーに必要な外観は、高級感や華やかさだけではない。優れた空力特性と安全性、そしてイメージリーダーならではの先進性を持たなければならない。1970年代のトヨタの代表車種にふさわしいルックスを、新型クラウンで明確に表現したい−−この目標のもとに生まれたのが、前衛的なスタイリングだった。

超個性的なスピンドルシェイプの導入

 2ドアハードトップ、4ドアセダン、カスタム(ワゴン)、バンのボディタイプで構成した4代目クラウンの前衛的なスタイリングには、“スピンドルシェイプ”のネーミングが与えられていた。曲面を多用し、ボディ前後端やルーフ部を大きく絞り込んだスピンドル=紡錘形状は、安全性が高く、高速巡航にもなじむフォルムとされ、トヨタ自工は「これからのスタイリングをリードするもの」とプレスリリースに記載する。

 具体的には、キャビンとボディの一体感を強調したカプセル形状、突起物を極力なくした安全性の高い面構成、ビルトインタイプのバンパーを特徴とした。同時に、細部のアレンジにも工夫を凝らす。ボンネット先端は2段形状で、段の部分にサイドフラッシャーを配置。パンパーはボディ同色として、下端までをカバーする。フロントとリアの三角窓も廃して、すっきりとしたウィンドウグラフィックに仕立てた。さらに、各ボディタイプの差異化も強調。ハードトップは角型2灯式のヘッドランプにスクエア形状の4分割式リアコンビネーションランプ、セダンは丸型4灯式のヘッドランプに横長2分割式のリアコンビネーションランプ、カスタムは丸型4灯式のヘッドランプに楕円形状のリアガーニッシュなどを採用した。

豪華な室内は「ゆとりと安全」がテーマ

 インテリアは、「心からゆったりくつろげる」「高い安全性を確保する」という2大テーマのもとに設計を手がける。くつろぎの面では、座り心地のいい高級ファブリック表皮のシートに広い足もと空間、トータルコーディネートした室内カラー、パワーウィンドウ、自動選曲装置付きAM/FMラジオ+オートアンテナなどを採用。安全性面では、コラプシブルハンドルに熱線入りリアウィンドウデッフォッガー、視認性に優れた計器盤、オートロック機構、2段開き式ドアなどを組み込んだ。

 ハートトップ系はパーソナル感覚を、セダン系は、後席に乗るVIPにふさわしい格調が演出されたスピンドルシェイプの4代目クラウン。デザインも装備も従来以上に洗練され,新時代の到来を告げた。ちなみに前席はハードトップがスポーティなセパレート形状。フォーマルなセダン系はベンチ形状がメインだった。

メカニズムはエレクトロニクス機構を積極的に採用

 スピンドルフォルムのクラウンは、従来以上に快適性向上に力を注ぐ。基本骨格に改良版ペリメーターフレームを採用。その上に剛性を高めたボディを、防振ゴムを介して接合した。サスペンションは前ウィッシュボーン/コイル、後4リンク/コイルで構成し、各ボディタイプおよびグレードの性格に合わせてセッティング。また、操舵機構には可変式ギアレシオを組み込んだボールリサーキュレーティング式を、制動機構にはタンデムマスターシリンダーを配した前ディスク/後Pバルブ付きリーディングトレーリングを採用した。

 乗用モデルのパワーユニットには、3機種のM型系1988cc直列6気筒OHCエンジンを搭載。SUツインキャブレターと組み合わせて圧縮比を9.5としたM-B型(ハードトップSLのみに採用)が最高出力125ps/5800rpm、最大トルク16.5kg・m/3800rpmを、ツインキャブレターと組み合わせて圧縮比を9.0としたM-D型が最高出力115ps/5800rpm、最大トルク16.0kg・m/3600rpmを、シングルキャブレターと組み合わせて圧縮比を8.3としたM-C型が最高出力105ps/5400rpm、最大トルク15.5kg・m/3600rpmを発生する。組み合わせるトランスミッションには新設計の4速MTのほか、3速コラムMTと3速コラムおよびフロアAT(トヨグライド)を用意。上級仕様には高速での静粛性と防振性に優れる3ジョイント型のプロペラシャフトを装備した。また、電子制御式自動変速機(EAT)や電子制御式スキッドコントロール装置(ESC)、オートドライブ機構といった先進システムをオプションで用意する。

最上級2.6リッター車を追加設定

 先進的なデザインとメカニズムを採用し、グレード展開では最上級のスーパーサルーンを新設定。ハードトップのワイドバリエーション化などを図って、意気揚々とデビューした4代目クラウン。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は伸び悩んだ。スタイリングが個性的すぎて、従来のクラウン・ユーザーに受け入れられなかったのだ。さらにフロントエンドの見切りの悪さやバンパー修復時のコスト高(前後とも大型サイズの一体構造のため)、トランクの使いにくさなども指摘され、とくにタクシー仕様のドライバーからは不評を買った。

 高級車カテゴリーにおける販売シェアを回復させようと、開発陣は鋭意、車種展開の拡大や機構面の改良、内外装のリファインを図っていく。
 まず1971年5月には、ハードトップとセダンに4M型2563cc直列6気筒OHCエンジン(最高出力130ps/5200rpm、最大トルク20.0kg・m/3600rpm)を搭載する2600スーパーサルーンを追加設定。足回りも強化し、高速性能を一段と引き上げる。翌1972年の10月には、2600シリーズの拡販を狙ってスーパーデラックスとデラックスをラインアップに加えた。

 1973年2月になると、マイナーチェンジを実施する。外装ではウィンカーランプをフロントグリル脇に移設し、バンパー形状を変更したうえでメッキタイプに変更。セダンのトランク部をスクエアなデザインにリファインした。さらにフロントガラスに中間膜厚0.7mmの安全合わせガラスを新採用。内装では一部パーツのデザイン変更に加え、後席パワーリクライニングや運転席側ワンタッチ式パワーウィンドウなどを新装備する。
 機構面では、搭載エンジンの排出ガス対策の強化や4M型エンジンの出力アップ(140ps/21.0kg・m)、M-B型エンジンのハイオクガソリン仕様(130ps/17.0kg・m)の設定、ハードトップへの5速MTの追加などを行う。さらに、新グレードとしてセダンSL(M-B型エンジン+5速MT/4速MT/トヨグライド)をラインアップした。
 1974年1月には、スーパーサルーンとSLに2000EFI仕様を追加設定。厳しさが増す排出ガス規制に対応する。

後年になって評価を高めた“クジラ”クラウン

 入念な改良を実施し完成度を高めた4代目クラウン。しかし、販売成績はそれほど奮わなかった。一時は、ほぼ同時期にモデルチェンジした日産セドリック/グロリアの兄弟車に、1955年以来守り続けてきたクラス首位の座を明け渡すこととなる。

 この状況を憂慮したトヨタ自工の首脳陣は、クラウンの早めの全面改良を決断。1974年10月には、落ち着きと安定感を強調したスタイリングを纏う第5世代に切り替えた。
 3年8カ月という短いサイクルで車歴を閉じ、販売成績では“失敗作”といわれる4代目クラウン。しかし、その先進的で独創性あふれるデザインは、業界関係者やクルマ好きのあいだで非常に評価が高い。現在ではそのスタイリングから“クジラ”クラウンの愛称で呼ばれ、貴重なコレクターズアイテムになっているほどだ。高級車カテゴリーにおけるトヨタ自工のチャレンジは、ずっと後になって真の評価を受けたのである。