トゥデイ 【1993,1994,1995,1996,1997,1998】

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軽自動車の使用パターンを再検討

 サイドシル一体成型のバスタブ型フロアという凝った専用車体を開発し、さらにEH型2気筒エンジンと組み合わせるギアボックスをクランク軸と一直線上に置いた初代トゥデイは、その革新的なメカニズムと独特のスタイリングで注目を集めた。しかし1980年代末になると、高性能でお洒落なライバル車が市場を席巻し、初代トゥデイの存在感は薄れていく。
 その状況に対応して本田技研は、新しいトゥデイの開発を本格化させる。開発チームがまず検討・研究したのは、「一般ユーザーの軽自動車の使い方」だった。使用目的は買い物や通勤がメイン。積載荷物はショッピングバックなどの日常の手荷物が主で、大きなものでもベビーカー程度である。平均乗車人数は1.3人ほど。さらにドライバーの女性比率は55%強を占めていた。買い物や通勤のために生活圏の中の短い距離を、日常の手荷物や買い物の荷物を積んで、ほとんど1人で、主に女性ユーザーがドライブする−−それが軽自動車の一般的な使用パターンであると、開発陣は分析した。

 開発陣は開発テーマに“マイ・パートナーミニ”を掲げる。具体的には、①運転しやすく、扱いが楽で、しかもゆったりと乗れる②乗り心地が快適で、静かである③デザインが独自のイメージにあふれ、しかもユーザーの満足感につながる④使いやすくて必要な装備がそろっている⑤荷物スペースは普段の使用に十分な広さを持ち、しかも扱いやすい、といった条件のクリアーを目指した。

 目標達成のために、開発陣はまず乗用車専用の発想とドライバー最優先の設計方針を打ち出す。当時の軽自動車は商用車の4ナンバー仕様を併売するのが主流で、車体やエンジンに関しても基本的に共通化していた。想定ユーザーが好む軽自動車に仕上げるには、乗用車専用で開発する必要がある−−開発陣はそう判断したのである。

乗用車専用モデルとしてデビュー

 バブル景気崩壊の影響が各所で顕在化しはじめた1993年の1月、2代目となるトゥデイが市場デビューを果たす。ボディタイプは2ドアの1タイプ。ボディ形状は当時の主流だったハッチバックではなく、乗用車専用を強調するトランク付きのセミノッチバックとした。
 新型トゥデイの内外装は非常に凝っていた。エクステリアは“Jライン”と称するCピラーにパノラミックタイプのリアウィンドウ、そして異形丸型のヘッドライトなどがアピールポイント。インテリアはドライバー優先で運転席を大きくしたシートレイアウトやフローティングパッドを配したインパネが特徴だった。
 エンジンは従来ユニットを大幅に改良した656cc直3OHC12Vユニットで、全仕様にPGM-FIの燃料供給装置を組み合わせる。さらにXiグレードには、MTRECを組み込んだ高性能エンジンを採用した。

 乗用車専用モデルとして華々しく登場した2代目トゥデイ。一方その影で、トゥデイの名を付けたもうひとつの新型車も登場する。初代トゥデイの基本メカとスタイリングをほぼそのまま流用し、4ナンバーの商用車専用モデルとしたトゥデイPROが発売されたのだ。トゥデイを営業車などに使うユーザーに向けての、本田技研の販売戦略の一環だった。もちろんこの時点では、商用モデルが乗用車版のトゥデイを凌駕する人気を獲得するとは予想していなかった……。

ハッチバックスタイルに大変身

 2代目トゥデイは市場デビューから4カ月ほどが経過した1993年5月に4ドアモデルのアソシエを追加する。さらに翌年4月には早くもマイナーチェンジを実施し、内外装の一部意匠の変更や新冷媒エアコンなどを採用した。
 車種の拡充や新鮮味を維持する意匠変更を相次いで実施した2代目トゥデイ。しかし、販売成績は予想外に伸び悩んだ。軽ユーザーが乗用車よりも商用車、具体的にはクルマ自体の快適性よりも、維持費が安く済むほうを重視したからである。また、トゥデイのトランク式はハッチバックタイプに比べて荷物の出し入れがしにくいと指摘された。

 軽自動車市場でのシェア復活を目指して、本田技研は様々な方策を実施する。1994年9月には商用モデルのトゥデイPROをベースに、パワーウィンドウやパワーステアリングといった快適装備やカラードバンパーなどを装着した一般ユーザー向けのトゥデイ・ハミングをリリース。これが乗用車版のトゥデイを上回る人気モデルとなる。1996年2月になると乗用車版も大がかりな改良を実施し、ボディ形状はセミノッチからオーソドックスなハッチバックタイプへと一新された。
 様々な改良や苦肉の販売戦略を実施した本田技研。しかし、1990年代中盤に軽自動車市場では新たなムーブメントが起こる。スズキ・ワゴンRのデビューに端を発した“軽ハイトワゴン”のブームだ。ライバルメーカーは相次いでワゴンRのライバルとなるハイトワゴンを発売し、やがて軽自動車市場はこのボディ形状が主流となる。そんななかトゥデイの存在感はますます薄れ、唯一、商用モデルのトゥデイ・ハミングが地道な販売成績を記録するにとどまった。結果的にトゥデイは2代目をもってモデル寿命を終え、その後継は車高を高めたライフ(1997年4月デビュー)に、その座を譲ることとなったのである。