レックス・セダン 【1981,1982,1983,1984,1985,1986】
人気の軽。FFに移行した2代目モデル
いわゆるボンネットバンの大ヒットによって、
日本の軽自動車市場は再び活気を取り戻す。
各メーカーもこぞって新型車をリリース。
富士重工はレックスを2代目に移行させ、
ついにFF方式のレイアウトを採用した。
1979年5月にスズキがリリースしたアルトは、それまでの軽自動車の概念を一変させた。購入諸費用と維持費の安い商用車登録、47万円の安価な車両価格など、「軽ボンネットバン」という新しいカテゴリーを切り開いたのだ。時代は第二次オイルショックで“省エネ”が叫ばれ、さらに一家に一台のマイカー時代に替わって“セカンドカー”需要が増加しつつあった。時代の後押しもあって、軽ボンバンのアルトは大ヒット作に成長する。そして他メーカーも、この戦略に追随していった。
スバル360のデビュー以来、軽自動車の先陣メーカーとして君臨してきた富士重工は、1972年6月デビューの初代レックスを改良しながら急場を凌いでいく。排出ガス規制の対策で開発予算と人員が削られていたため、新モデルの開発にまで手が回らなかったのだ。苦心しながらも新しい軽自動車の本格的な開発に着手できたのは、1970年代末のことだった。
富士重工のエンジニアがまず最初に手掛けたのは、メカニズムの設計だった。限られた軽自動車の規格から最大限の室内空間を創出するには−−。最終的に開発陣はスバル360から続く伝統のリアエンジン&リアドライブから他メーカーも採用するフロントエンジン&フロントドライブに一新する決断を下す。エンジンは初代レックスの2気筒エンジンを流用し、FF化するために大幅な改良を図った。
足回りはリアサスペンションにセミトレーリングアーム+コイルスプリング式を導入し、フロントのマクファーソンストラットと合わせて四輪独立懸架を奢る。ひとクラス上の上質な乗り心地が味わえるこのレイアウトは、後にスバル製軽自動車の特徴としてユーザーに認知されるようになっていった。
1981年9月、約9年ぶりにレックスがフルモデルチェンジを果たす。「ザ・ビッグ・ミニ」のキャッチフレーズを掲げた2代目モデルは、最初に販売の主力となる軽ボンバンのレックス・コンビが登場し、その1カ月後に乗用車版のレックス・セダンが追加された。
デビュー当初の2代目の評判は、あまり芳しくなかった。スタイリングはスバル360やR-2とは違って平凡で、エンジンレイアウトと駆動方式も他社と同様。上質な乗り心地は高く評価されたが、残念ながら一度ユーザーにならないと魅力が認識できない特性だった。
この評判を払拭しようと、開発陣は付加価値を含んだ新たなグレードの設定を画策するようになる。1983年10月にはパートタイム4WDを採用したコンビ4WDをリリース。同年12月にはターボの過給器を組み込んだコンビ・ターボを追加する。1984年9月にはマイナーチェンジを実施し、角目のヘッドライトなどで精悍さをアピールした。同時にコンビ4WDターボや装備充実の仕様など、魅力的な車種もラインアップに加えている。
さまざまな改良や新機構の追加を敢行した2代目レックスだが、それでもアルトやミラを脅かす存在にまではなれず、結果的に1986年10月には3代目にバトンタッチすることになる。
シェアの拡大ではあまりパッとしなかった2代目。しかし、別のマーケットではナンバー1と呼ぶ声が続出した。中古車市場と修理工場の現場だ。ある板金職人はこう語っていた。
「とにかく2代目レックスのボディは丈夫だった。腐食しやすいフロアやタイヤハウス、それにドアヒンジなんかの耐久性はすごく高かった。他の軽自動車に比べて群を抜いていたね」。
優れた耐久性は中古車としても高く評価され、他社の軽自動車が廃車扱いになるのを横目に店頭に並べられたという。良質なボディと入念な作り込み−−これこそが2代目レックスの真髄だったのだ。