首都高速の歴史04 【1987〜1993】

レインボーブリッジ/国際都市の東京を結ぶ“虹の橋”

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臨海副都心へのアクセスの確保

 東京都が建設を進める臨海副都心は、着々とその工事が進んでいた。一方、都心と臨海副都心および高速湾岸線を結ぶ高速道路網の整備も急務となり、首都高速道路公団は新ルート=首都高速11号線(建設当初は12号線と称する)の建設に乗り出す。

 新ルートの起点はさまざまな検討がなされた結果、首都高速1号線の浜崎橋ジャンクション南側に位置する芝浦ジャンクション付近に決定した。そこから橋を介し、有明地区の高速湾岸線へと結ぶ路線を策定する。このルートは、神奈川や千葉方面から都心に向う際の交通量分散という役割も担っていた。さらに、臨海副都心の重要拠点となる台場に出入口を設置する旨も決定される。

 もうひとつ、新架橋に関しては新交通システムと臨港道路を併せ持つ複合交通施設にするという使命が課せられた。都心と臨港副都心を人々が行き交うには、高速道路網だけでは不足。公共交通機関や一般道も通す必要があると判断されたのである。

6年半あまりの大規模工事

 1987年1月、首都高速11号線となる新ルートの工事が着工される。重要区間となる架橋は、最初に主塔・側塔・ケーブルアンカーフレームの工事から始まり、その後に前期ケーブル工事、補剛桁工事、後期ケーブル工事の手順で進められた。

 主塔・側塔・ケーブルアンカーフレームの工事は芝浦側から開始され、大型のフローティングクレーンによって各塔とケーブルアンカーフレームが架設される。主塔の中央径間は570m、そこから側塔までは左右114mで、計798mの吊橋基部が設置された。またアンカレイジの基礎については、平面寸法で45m×70mのサイズを確保。これは一般的なテニスコートが12面とれる大きさだった。

 次の工事は上部工の架設、すなわち主要ケーブルの設置で、パイロットロープの渡海、キャットウオークの架設、ストランドの架設、ハンガーロープの架設が行われる。ちなみにストランドに関しては、127本もの数に達した。
 主要ケーブルが張られた後は、補剛桁工事に着手する。まず中央径間の架設から開始し、次に側径間の架設を実施。すべての設置を完了してから補剛桁を閉合した。

 ここまでくると架橋プロジェクトも最終段階となり、後期のケーブル工事に移る。具体的にはメインケーブルのラッピングと塗装、キャットウオークの解体、ハンガーロープの塗装などが行われた。

東京都の観光スポットに発展

 都内最大級の架橋工事を実施した首都高速11号線(5km)は、工事開始から約6年半ほどの時を経て1993年8月に開通する。完成した上下2層構造の大型橋は、一般公募によって“レインボーブリッジ”と名づけられた。さらに当初の計画通り、橋の下層部には芝浦埠頭と台場地区を結ぶ臨海道路(東京都道482号台場青海線)、そしてゴムタイヤによって高架の専用軌道を走る新交通システムの“ゆりかもめ”も設置される。

 首都高速11号線は本来の目的である都心と臨海副都心の連結はもちろん、首都高速1号線や9号線、箱崎ジャンクションなどの交通渋滞緩和にも貢献する。加えて、羽田空港や横浜方面へのアクセス向上も実現した。
 またレインボーブリッジは東京の新名所として大人気のスポットとなり、台場や芝浦には多くの観光客が訪れるようになる。さらに東京湾の顔役として夜間のライトアップがなされ、映画やTVドラマなどにも数多く登場することとなった。