シルビア 【1975,1976,1977,1978,1979】

復活した日産のスペシャルティカー



1968年6月に生産を打ち切った
初代シルビアの後、7年ぶりにその名が復活。
2代目はスペシャルティカーとしての資質を継承しながら、
主要パーツを他モデルと共有するなど、
合理化を図ったモデルだった。
トヨタのセリカに対抗する
スタイリッシュなモデルとして、高い人気を集めた。
初代の市場を継承し復活

 1975年9月、日産のモデルレンジに、7年の空白の後「シルビア」の名が復活した。最初の「シルビア」は、1964年の第11回東京モーターショーに、「ダットサン・クーペ1500」として展示され、翌1965年から「シルビア」の名で発売された。形式名がCSP-311となっていたことからも分かるように、日産のモデルの中での位置付けは、2シータースポーツのフェアレディ1600(形式名SP-311)のクーペ仕様となっていた。形式名の頭に付く「C」がそれを示す。つまり、シャシーやサスペンション、エンジン、トランスミッションなどは、全て「フェアレディ1600」と共通だったわけだ。
 
 小型ながら、キレの良いボディラインを持つスタイリングは、ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツのアドバイスによるもので、ゲルツは1955年に登場したスポーツカー、「BMW 507」のスタイリングデザインを手掛けたことで知られる。この時期に、日産が唐突に著名なデザイナーのデザインによる2シータークーペを発表したのは不思議だが、一説によれば、ゲルツ側がスタイリングのアイディアを持ち込み、日産が「SP-311」のシャシーを提供して造らせたものだと言う。ゲルツは同じ時期にトヨタにもアプローチし、「トヨタ2000GT」のスタイリングデザインにも関与したと言われている。

部品共有でパーソナルカーを量産

 造形のそうした経緯の真偽はともかく、「シルビア」は日産のスペシャルティカーとして、量産型の「フェアレディ」とは異なるポジションに在った。1970年代半ば、フェアレディは爆発的な人気を集めていたが、ボディサイズや性能の点で日本の道路事情では使い難さが目立っていた。そこで、2リッター以下のクラスの本格的なパーソナルカーとして「シルビア」は復活したのである。

 復活したシルビアは、絶対的に生産台数が少ないことから、既存の量産車から多くのコンポーネンツを流用している。エンジンは「ブルーバードU」と同じL18型直列4気筒SOHCで、排気量は1770cc、シングルキャブレター仕様のみで、105ps/6000rpmの出力と15.0kg-m/3600rpmのトルクを発揮した。車重が990kgとだったから性能的には大人しく、最高速度は175km/hとなっていた。そのほか、サスペンションはサニー系の「バイオレット」と同じものであり、フロントがディスク、リアがドラムのブレーキもサニー系からの流用だ。価格は標準仕様で104万円から111万円までだったが、トヨタ「セリカ リフトバック」などよりは幾分安かった。

デザインに長けた魅力あふれる内外装

 すでにゲルツのデザインではなくなっていた復活版「シルビア」だが、小型パーソナルカーとしての性格は上手く受け継がれており、どこた宇宙船を思わせるロングノーズ、ショートデッキのスタイリングと相まって、スタイリングデザイン不在と言われた当時の日本車の中に在っては、掃き溜めに舞い降りた鶴のように見えたものである。インテリアデザインもパーソナル感覚を強調したものだった。「シルビア」の名は、そのベースとなるモデルを替えながら、日産のスペシャルティカーとして、2000年代初頭まで存続した。

COLUMN
代を重ね、日産を代表するスポーツモデルに成長
 日産のスポーツエンジンであるR型1.6リッター直4OHV(90ps)を搭載した初代に対し、2代目のS10型シルビアは、平凡な1.8リッターのOHCユニットでの登場だった。ガゼールも加わった3代目のS110型(1979年)でもデビュー当初は1.8リッターと2リッターのOHC(115psと120ps)。しかし、1981年、マイチェンと同時に、1.8リッターターボ(135ps)がデビュー。その翌年の1982年4月には、スカイラインRSと同ユニットの直列4DOHC16VのFJ20型(150ps)を搭載し、「シルビア=スポーツモデル」という図式が誕生した。1983年にデビューのS12型では、2リッターDOHC16Vターボ(190ps)もラインアップした。