ベレット1500クーペ 【1964,1965,1966】

流麗スタイルを気軽に楽しむバリエーション

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スポーティなベレットを象徴したクーペの存在

 イギリスのヒルマンのノックダウン生産によって乗用車作りを学んだいすゞは、1960年代初頭の日本車自動車界にあって、最もオーナードライバー指向の強いメーカーであった。
 いすゞ独自開発のはじめての小型車であるベレットでは、「スポーティな走り」を主軸に据えた開発が行われた。とくにこだわったのは足回り。舗装路の少ない劣悪な道路環境の影響を受け、ライバル各車がロードホールディング性能以上に、タフさを優先していた中、クラス初の4輪独立システムを実現。ラック&ピニオン式のシャープなステアリングと相まって、スポーツカーライクなフットワークを見せつける。

 またベレットは、4ドアセダンから開発が始まったが、当初からワイドなボディバリエーションを想定していた。その中にはスタイリッシュな2ドアクーペモデルも含まれていた。スポーティな走りを主要開発目標に掲げたベレットにとって、そのコンセプトをスタイリング上でも明確に主張するクーペは、ある意味、最もベレットらしいベレットといえた。

 ベレットのクーペモデルは、1963年10月のモーターショー会場で一般に披露される。発売直前のセダンモデルとともにいすゞブースの主役として展示された車両は「1500GT」のプレートを装着したプロトタイプ。プロトタイプは、実用的なセダンですら、まだまだ憧れの存在だった時代に、欧州製スペシャルモデルのような流麗なフィーリングと走りの良さを全身で表現。“GT”という鮮烈なネーミングの威力とも相まって、来場者の熱い視線を釘づけにした。

1600GTとして市場デビュー、走り鮮烈

 ベレットのクーペモデルは、セダンの発売から約5ヶ月後の1964年4月28日に正式デビューする。市販モデルはプロトタイプと同様の、低く流麗な“弾丸シルエット”の持ち主で、ネーミングは「1600GT」を名乗った。名称どおりエンジンはツインキャブレターでチューニングされた1579ccのG160型・直列4気筒OHVユニットを搭載。88ps/5400rpm、12.5kg/m/4200rpmの出力/トルクを誇り、4速トランスミッションを介して160km/hのトップスピードを実現した。足回りは、もちろん前がダブルウィッシュボーン式、後ろはダイアゴナルリンク付きスイングアクスル式の4輪独立。GTはセダンよりも固めのセッティングが与えられロードホールディング性能にさらに磨きがかけられていた。

 1600GTは、室内も特別な雰囲気に満ちていた。インパネには精緻な印象の丸型7連メーターがずらりと並び、センターコンソールを標準装備。セパレート形状のサポート性に優れたシートや、3本スポークステアリングなど、どこから見ても欧州製スポーツモデルに勝るとも劣らない仕上がりだった。手足をゆったりと伸ばしたポジションがぴたりと決まる低いドライビングポジションも大きな魅力。ちなみに後席は補助席的な仕上げで、乗車定員はセダンの5名から4名に変更されていた。

魅力的なバリエーションの充実

 1600GTは、日本初の量産GTカーとしてマニアから大きな反響を収める。メーカーはその評価をさらに高めようと、デビューから半年後の1964年10月にはマイナーチェンジを実施。さらにバリエーションを拡充する。マイナーチェンジの内容はフロントグリルの刷新。それまでのセダン共通形状から、一段と精悍なクーペ専用デザインに一新する。バリエーションは1500GTと、今回の主役である1500クーペの追加だった。

 1500GTは、ツインキャブレター仕様の1471cc、G150型・直列4気筒OHVユニットを搭載したモデルで、パワースペックは77ps/5400rpm、12.0kg/m/4200rpm。1600GTと共通の4速トランスミッションを介して150km/hのトップスピードを誇った。一方、1500クーペは、クーペの美しいデザインを気軽に味わうためのバリエーション。エンジンはシングルキャブレター仕様のG150型を搭載。しかしシングルキャブレター仕様とはいってもセダンと共通ではなく、圧縮比をセダンより高めることで5psパワフルな68ps/5000rpm、11.3kg・m/2200rpmを発生。専用レシオの4速トランスミッションを介して145km/hのトップスピードを誇った。

 1600GT、1500GT、1500クーペの3台は、ベレットのスペシャルモデルとして、ユーザ—に強いインパクトを与える。しかし、実際の販売セールスは1600GTの一人勝ちだった。1964年当時、スポーティなクルマを購入できるのは一部の富裕層に限られていた。彼らは流麗なスタイリングだけでなく、走りも最高なものを選んだ。その結果が1600GTだったのである。
 1500GTと、1500クーペの販売期間は短く、1966年モデル以降は、カタログから落とされた。もちろん販売終了の要因は、クルマ自体に魅力が乏しいからではない。日本のモータリーゼーション蒲田発展途上で、スポーティでスタイリッシュなモデルを楽しむ文化が、まだまだ未成熟だったからだった。