アスカCX 【1990,1991,1992,1993,1994】

“ウェルバランス”を謳ったいすゞ版レガシィ

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いすゞと富士重工の提携

 後にバブル景気と呼ばれる未曾有の好況に沸いていた1980年代終盤の日本の自動車業界。しかし、この上昇気流に乗り切れない国内メーカーも存在した。いすゞ自動車と富士重工業である。2社は国内でのヒット作に恵まれず、さらに北米市場への進出、とくに現地生産の面で完全に出遅れていた。打開策としていすゞと富士重工は、自動車メーカーとしての地位向上と利益拡大を目指した提携戦略を次々と実施していった。

 まず1986年5月には、貿易摩擦に起因する対米輸出自主規制、および円高の進行に対処するために「米国現地生産に関する基本協定」を結ぶ。翌1987年2月には合弁契約書に調印し、同年3月になって出資比率をいすゞ49%/富士重工51%とする現地の新合弁会社「Subaru-Isuzu Automotive Inc.」(SIA)が発足した。米国インディアナ州ラファイエット市に居を構えたSIAは、1987年5月より工場の建設を開始し、急ピッチで工事を進めた結果、1989年8月に完成。同年10月に開所式を行い、ラインオフしたいすゞピックアップトラックとスバル・レガシィが披露された。

 アメリカでの共同事業を進める一方、いすゞと富士重工は日本市場での提携策も模索する。主要テーマとなったのは、コスト抑制を図るための2社での車種補完。結果的に1988年3月になって、2社による相互製品OEM供給が合意した。OEM車は、まず同年8月にスバル・レオーネ・バンのいすゞ版となる「いすゞ・ジェミネットII」が発表される(発売は9月)。そして同年12月には、いすゞ・ビッグホーンのスバル版となる「スバル・ビッグホーン・イルムシャー」が市場デビューを果たした。

“ウェルバランス・セダン”の市場デビュー

 いすゞによるOEM車のリリースは、中核モデルとなる4ドアセダンにも及ぶ。1989年3月にはGMのJカー戦略車のひとつであり、いすゞのオリジナル車でもあるアスカの生産を中止。そして1990年5月になって、スバル・レガシィ・ツーリングセダンのいすゞ版となる「いすゞ・アスカCX」を発表した(発売は6月)。

 キャッチフレーズに“ウェルバランス・セダン”を掲げたアスカCXは、EJ20型1994cc水平対向4DOHCエンジン(150ps)+フルタイム4WDの2.0 4WD(BCM型)を筆頭に、EJ20型エンジン+FFの2.0 FWD(BCL型)、EJ18型1820cc水平対向4OHCエンジン(110ps)+FFの1.8 FWD(BCK型)という計3グレードで構成される。レガシィとの内外装の違いは、エンブレム類やリアガーニッシュ、ウィンドウモールのブラックアウト化などにとどめた。

ベース車の変更に合わせたマイナーチェンジ

 初代アスカとは大きく異なり、スポーツモデルもディーゼルエンジン仕様も設定されなかったアスカCX。いすゞ製サルーンとしての存在自体は地味にならざるを得なかったものの、それでもレガシィのマイナーチェンジに準じた地道な改良は毎年のように実施された。

 まず1991年6月には、フロントおよびリア回りのデザイン変更やシート形状の一新、EJ20型1994cc水平対向4OHCエンジン(125ps)搭載車の新設定などをメインメニューとしたマイナーチェンジを実施。グレード呼称も、2.0タイプZ 4WD/2.0タイプZ/2.0タイプG(新設定)/1.8タイプTとする。翌1992年6月には、内外装や装備アイテムの見直しを敢行。ブロンズガラスの採用やドアショルダーモールのデザイン変更、スポーティバンパー&プロジェクターフォグランプの設定(タイプZ)、トランクスルー機構付き6対4分割可倒式リアシートの装着などを行った。

経営環境の変化が生んだ提携の解消

 OEM車の増強と新型車のリリース(ジェミニ/PAネロ/ピアッツァ/ビッグホーン/ミュー・メタルトップ)、そして海外事業の拡大で業績を伸ばそうとした1990年代初頭のいすゞ自動車。しかし、予想外の事態が同社を襲う。バブル景気の崩壊だ。いすゞの業績は急速に悪化し、事業投資のツケに苦心する。さらに、GMの戦略が色濃く反映された新型ジェミニやピアッツァの販売も伸び悩んだ。
 首脳陣は車種体系の整理や資本提携の見直しを余儀なくされる。そして1992年には乗用車の自社生産の中止を発表した。この政策には「GMの下請けのような乗用車の開発には意味がないし、日本市場の嗜好に合わせたクルマも造りづらい」という現場の意見も加味される。これ以後いすゞは、一般ユーザーに対してビッグホーンやミューを中心とした“SUVスペシャリスト”を標榜するようになった。

 提携の見直しに関しては、1992年12月に富士重工との相互製品OEM供給の契約を解消。代わって、1993年4月になって本田技研工業との商品の相互補完契約を結ぶ。そして、同年5月にアスカCXの販売が中止され、翌'94年3月にはホンダ・アコードのセダンをベースとするOEM車の新型アスカが市場デビューを果たしたのである。