コスモL 【1977,1978,1979,1980,1981】

国産初の優雅なランドウトップ・スペシャルティ

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起死回生のロータリー車

 1973年の第4次中東戦争を背景に発生したオイルショックは、日本の産業界に大打撃を与えた。もちろん国産自動車メーカーも、電力供給量の制限や猛烈なインフレ、ガソリン価格の高騰などに苦心することになる。とくに東洋工業への影響は大きく、「燃料消費の多いロータリーは悪いエンジン」というレッテルが貼られ、結果的にマツダ車の販売台数は大幅に下落した。
 この状況を打開したのが、改良版ロータリーを搭載し、1975年10月にデビューした高級スペシャルティカーの「コスモAP」だった。APはアンチ・ポリューションの略で、肝心のロータリーエンジンはアペックスシールやコーナーシールなどのガスシールの改善、サーマルリアクター(排気ガス再燃焼装置)の反応性の見直し、2次エア供給の再調整などを実施した。こうして完成した13B型(654cc×2ローター)と12A型(573cc×2ローター)は、昭和50年初期モデルに比べて約40%の燃費改善を達成する。保険として、VC型の1.8Lレシプロエンジン搭載車もラインアップに加えた。

 コスモAPはデビューと同時に大人気を博す。とくに広告で流れた赤いボディーが話題となり、「真っ赤なコスモ」が流行語となるほどだった。販売台数も絶好調で、1975年には6960台、1976年には5万8121台という高級スペシャルティカーとしては異例の好成績を記録する。ラグジュアリーでスポーティなルックスや豪華な内装も人気の要因だったが、パワフルなのに燃費がいいロータリーエンジンの特性もユーザーの好評価を集めた。

新たな魅力の創出

 コスモAPの大ヒットは、当時の東洋工業にとって久々に明るい話題だった。この勢いを何としても維持したい−−。首脳陣はその一環として、コスモAPのバリエーションを増やす決断を下す。そして77年7月、ボディー後半部の設計を見直した「コスモL」が発表された。
 コスモLは基本的に2ドアクーペのボディー形状を採用するが、そのルーフ回りは独特だった。“ランドウトップ”と呼ばれるビニールレザー張りトップ+ノッチバックのデザインに仕立てていたのである。この手法は往年の高級馬車の形式である「ランドウ」に範をとったもので、主にアメリカのラグジュアリーカーが好んで採用していた。日本車ではコスモLが初めて本格的に導入している。

 コスモLのグレード展開は、上位からリミテッド、スーパーカスタム、カスタム、カスタム・スペシャルの4タイプを用意する。エンジンやミッションは基本的にAPと共通。また車両価格はAPに対して数万円ほど高く設定し、コスモ・シリーズの最高級車である事実をプライス面からも主張していた。

最高級モデルとして高い人気を獲得

 新しい魅力を加えた高級スペシャルティカーのコスモLは、市場でも大きな注目を持って迎えられる。当時はアメ車ブームの最終期で、ランドウトップは「カッコいい」デザインのひとつとして捉えられていたのだ。
 最高級モデルだけあって、コスモLの実際のユーザーはAPよりもやや高めの年齢層が中心だった。彼らはそのデザイン性のほかに、後席の居住性のよさも高く評価する。APに比べてヘッドルームに余裕があり、しかもクオーターウィンドウが小さいので乗員のプライバシーが守れたからだ。
 コスモLはAPとともに1979年9月にマイナーチェンジを実施し、ヘッドライトを丸目4灯式から角目2灯式に変更する。角目2灯を配したシックなフロントマスクは、APよりもLのほうが似合っていると市場では評された。