セリカ・リフトバック 【1973,1974,1975,1976,1977】

LBの名を冠した新世代スペシャルティ

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クルマでのレジャーが広まり始めた1970年代初頭、
ユーザーはスポーティなクルマにも
ユーティリティ性能を求めるようになる。
トヨタ自工はスペシャルティカーのセリカに
積載性を重視したモデルを設定。
リフトバック(LB)の名で市場に送り出した。
リフトバック開発の背景

 カローラやサニーがデビューした1966年以降、マイカーと呼ばれる自家用車は急速に普及し、やがて一般市民の足として使われるようになった。休日には“ドライブ”に出かける人も多くなり、アウトドアレジャーという遊びの形態が流行り始める。その結果、クルマにもそれなりの性能、つまり荷室容量や積載時の利便性が求められるようになった。

 そんな市場の要求は、高性能を謳うスポーツモデルにも波及する。このカテゴリーのユーザーは若者層が中心。アウトドアレジャーという新しい遊びのパターンに感化されないわけがなかった。当時から市場調査を重視していたトヨタ自工は、さっそくスペースユーティリティ性能を加味したスポーツモデルの開発に着手する。ベース車として選ばれたのは1970年10月にデビューし、日本初の本格スペシャルティカーとして好評を博していた初代セリカだった。

マルチユース・スペシャルティの登場

 開発陣が最初に手をつけたのは、リアボディの造形である。従来のスポーティなスタイリングを崩さずにユーテリティスペースを拡大するには、どんなボディ形状が最適か……。

 さまざまなアレンジを検討した結果、ハッチ式のバックドアを用いることに決定する。流麗なボディラインを崩さないように、リアボディ上部には大きな傾斜がつけられた。さらに全体のバランスを考えてボディ長を50mmほど伸ばし、全高を20mm低く、全幅を20mm広げて、ロー&ワイドのスポーティなハッチバックフォルムに仕上げる。この形状は1971年開催の第18回東京モーターショーで参考出品した「SV-1」をモチーフにした。

 開発陣のこだわりは、ディテールにも及んだ。フロントグリルは拡大したボディ幅を強調するように横に広くなり、左右のマーカーランプも垂直形状に一新する。ホイールアーチの張り出しやリアサイドのラインも印象的だ。リアは縦5灯式のコンビネーションランプとガーニッシュ中央に隠されたフタ付き給油口のアレンジが斬新だった。もうひとつ、オプションとして設定されたリアウィンドウを覆うブラックのルーバーも注目を集め、人気アイテムに昇華する。

 肝心のラゲッジは持ち上げ式で使いやすいゲートと広い開口部、奥行きのある荷室空間、後席シートバックの可倒機構などが評判を呼んだ。夜間での荷物の積み下ろしに貢献するラゲッジルームランプを全車に設定したことも特徴だった。

セリカの中心モデルに成長

 1973年4月、ハッチゲート付きのセリカはリフトバック、通称LBのサブネームを付けて市場デビューを果たす。エンジンは従来の2T系1.6Lに加えて18R系2Lユニットを新設定。最高峰のGTグレードには18R-G型2L直4DOHCユニットを搭載した。ちなみに18R系エンジンは、LBのデビューと同時に従来からのセリカ(クーペ)にも採用されている。

 ユーティリティ性能を兼ね備えた新しいスペシャルティカーは、たちまち若者の心をつかんだ。その要因には荷室の使いやすさもあったが、それ以上に迫力を増したスタイリングやパワーアップしたエンジンが注目を集める。「和製マスタングが、さらにマスタングに近づいた」と、当時は大きな話題になるほどだった。

 結果的にLBはセリカ・シリーズの重要な柱となり、中心モデルに発展していく。他メーカーもこれに追随し、スペシャルティカーといえばハッチバックボディをラインアップするのが定番となった。LBの成功は、日本のスポーツモデル造りの根幹に影響を与えたのである。

COLUMN
LBとクーペの2本立てはその後のセリカも踏襲
初代セリカでは追加モデルとして設定されたLBだが、その後のモデルではLBとクーペが同時にデビューを果たしている。まず1977年8月に2代目、そして1981年7月には3代目を発売するが、いずれもLBとクーペの2本立てだった。このラインアップが終了したのは1985年8月デビューの4代目からで、FRからFFの駆動方式に切り替わった“流面形”セリカは3ドアハッチバックのボディに一本化された。ちなみにLBのボディは上級版のセリカXXにも流用され、1978年4月デビューの初代、1981年7月デビューの2代目で使われている。