コロナ 【1970,1971,1972,1973】

ひと回り大きく豪華になった4代目

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時代の要求への対応

 1965年1月に宿敵のブルーバードを販売台数で抜き去り、1967年11月には国産車初のミリオンセラーという金字塔を打ち立てたRT40型系の3代目コロナ。しかし、1960年代の末に入るとクルマ自体の古さも目立ち始め、性能面ではライバルの追撃をかわすのがやっとという状況に陥っていた。
 苦労して築いたトップセラーの地位を明け渡すわけにはいかない--。開発陣は鋭意、新型コロナのモデルチェンジを準備する。当初はRT60/70型系初代コロナ・マークII(1968年9月デビュー)を4代目コロナとして企画していたが、販社からの要望でベーシックモデルのコロナ/上級版のコロナ・マークIIという2本立てで販売するようになる。結果的に4代目コロナは、豊富な車種ラインアップで展開されることとなった。
 4代目コロナで重視されたのは、内外装の演出だった。上級化を求めるユーザーの嗜好に対応しようとしたのである。スタイリングに関しては「シルエット70」と称する1970年代に向けた新鮮味のあるルックスを構築。カーブドガラスの採用と三角窓の廃止、サンダーウエーブと名づけたシャープなボディライン、そしてボディサイズの拡大などで上質感を引き上げる。インテリアは居住性の向上や内装材の質感アップを目指した。

 メカニズムについては、好評を博した従来型を基本的に踏襲する。フロントがダブルウイッシュボーン、リアが縦置き半楕円リーフのシャシーはチューニングを大幅に見直して採用。ホイールベースはボディの大型化に合わせて10mmほど延長(2430mm)した。エンジンに関しては7R型1.6L・OHCと2R型1.5L・OHVを流用する。一方、ミッションについては従来のMTとトヨグライド式ATのほかに新開発の電子制御式3AT(EAT)を設定した。

2タイプのボディを設定

 1970年2月、RT80型系の4代目コロナが満を持してデビューする。ボディタイプは4ドアセダンのみ。半年後の8月には2ドアハードトップ仕様がラインアップに加わる。その翌月には1.6Lエンジンが6R型1.7Lユニットに換装され、1971年9月には1.5Lエンジンが12R型1.6Lユニットに排気量アップした。
 新型コロナはマークⅡなどの高性能車の影に隠れたものの、販売成績の面では堅調な数字を記録し続ける。とくに信頼性の高いメカニズムと見栄えのいい内外装がユーザーの好評を博した。また布施明が歌う叙情的な『ふれ合う世界』のCMソングも話題を呼んだ。
 1971年8月になると、4代目コロナは初のマイナーチェンジを実施する。エクステリアでは鋭角的なグリルや大型のリアコンビネーションランプなどを装着したのが特徴。内装ではカラーリングとパネルのデザインを変更した。また販売面では、従来トヨペット店とオート店で併売していたハードトップをオート店の専用車種とし、シリーズ全体のキャッチフレーズに「ブラボー・コロナ」と付けた。
 1972年8月には2度目のマイナーチェンジを敢行する。最大のトピックはスポーツモデルの設定で、ハードトップ仕様に18R型1968cc直4OHCエンジン(ツインキャブとEFIを用意)を積む1900を追加した。

短かったモデルサイクル

 矢継ぎ早の改良で魅力度を増していった4代目コロナ。しかし、そのモデルサイクルは予想外に短かった。要因は予防安全と排出ガスの対策だ。社会問題化していた交通戦争と大気汚染が、4代目コロナのフルモデルチェンジ時期を早めたのである。
 2度目のマイナーチェンジからわずか1年後の1973年8月、コロナは全面改良を実施して5代目のRT114/112型系を発売する。新型には衝撃吸収バンパーやボール式コラプシブルステアリング、可倒式フェンダーミラー、OKモニターなどの安全装備が採用されていた。
 時代背景と自社の販売戦略に翻弄された4代目コロナ。完成度の高いモデルではあったものの、結果的に3年半という短い寿命で終えたのである。