ランサーEX 【1979,1980,1981,1982,1983,1984,1986】

“超越”を目指したボクシーセダン

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サブネームを付けて2代目デビュー

 1970年代後半、中型クラス、ギャランΣと新ハッチバック、ミラージュの導入、さらに排出ガス規制もクリアした三菱自動車の次のターゲットは、小型セダンであるランサーの新型への移行だった。1980年代をリードできるコンパクトセダンを開発するに当たり、三菱のスタッフはギャランΣで好評を博したボクシースタイルの採用を決断する。基本デザインに関しては、イタリア人デザイナーのアルド・セッサーノと共同で手がけた。駆動方式についてはミラージュのようなFFも検討されたが、ハンドリングやメカニズムの信頼性を鑑みてオーソドックスなFR方式を選択する。エンジンはG32B型1.6Lの“サターン80”とG12B型1.4Lの“オリオン”が搭載された。
 三菱の新しい小型セダンは、1979年3月に市場デビューを果たす。車名は従来のランサーにEXCEEDの略称である“EX”が付けられ、「ランサーEX」を名乗っていた。
 ランサーEXのルックスを見て、当時のクルマ好きや自動車マスコミは「ミニ・ギャランΣ」とか「小さなギャラン」というニックネームをつける。それほどギャランΣのスタイリングにイメージが似ていたのだ。さらに、ボクシースタイルならではの広い居住空間や扱いやすいハンドリング、耐久性の高いエンジンなどが好評を博す。販売面では大ヒットとまではいかないものの、堅調な数字を記録した。

スポーツモデルの登場

 オーソドックスで堅実、しかし地味なイメージがつきまとったランサーEXだが、その評価は1981年11月に追加設定されたスポーツモデルによって一変する。G62B型1.8Lにターボの過給器を組み込んだ「ランサーEX1800GSRターボ」がデビューしたのだ。
 強力エンジンに専用セッティングの5速マニュアルトランスミッション、さらに足回りなども強化した1800GSRターボは、たちまち走り屋たちの絶大な支持を集める。当時のユーザーによると、「G62はターボのパワーバンドさえキープすれば爽快な走りが楽しめた。後輪駆動なので、挙動も俊敏で操舵性も良かった」という。1800GSRターボは、次第にランサーEXの中心モデルに成長していく。そのころになると、ニックネームも「小さなギャラン」から「ランタボ」へと変わっていた。

WRCラリーシーンに復活

 三菱は1981年には、欧州仕様のランサーEX2000ターボをベースにした車両でWRC(世界ラリー選手権)の舞台に復帰する。再デビューの起点は1981年のアクロポリスラリーで、このシーズンは4戦にエントリーした。マシンの熟成が進んだ1982年シーズンでは、8月の1000湖ラリーで総合3位に入賞。FRながらアウディ・クワトロなどの4WD勢に匹敵する速さを見せたランタボは、当時のラリー界で大きな話題を呼んだ。三菱は翌1983年シーズンもランタボで参戦するが、4WD勢の速さにはもはや対抗できず、結果的にこのシーズンがRWDランサーの最後の年となった。

 ターボモデルを中心にマニアックな人気を獲得したランサーEX。しかし、販売のメインに想定していた量販グレードの影は薄くなり、その結果、トータルとしての販売成績は伸び悩むようになる。この状況を鑑みた経営陣は、1986年にランサーEXの生産中止を決定。しかも後継モデルを造るのではなく、ミラージュの4ドアセダン版であるランサー・フィオーレ(1982年1月デビュー)に吸収させる形で、ランサーEXをカタログから落としたのである。