4(キャトル) 【1961〜1992】
フランスで最も売れたルノー初のFF大衆車
1948年にデビューした“こうもり傘に4つの車輪を付けたクルマ”ことシトロエン2CVは、フランスにおいてクルマの大衆化を担うエポックメイキング車に成長する。いわゆるモータリゼーションの進捗を傍目に、フランス最大の自動車メーカーであるルノー公団は、2CVに対抗し、かつ既存の4CVの後継を担う新ベーシックカーの企画を鋭意推し進めた。
社長のピエール・ドレフュスの指示のもと、コードネーム112、開発現場では想定の販売価格350,000フランから350という名称で呼ばれた一大プロジェクトは、1956年に本格的なスタートを切る。開発テーマは“ブルージーンズのようなクルマ”。世界中の人々に愛され、広まったブルージーンズのように、順応性が高く経済性と利便性に優れる新しい大衆車を造る−−。そうした思いが、このテーマに込められていた。パッケージングを大きく左右するパワートレインのレイアウトは、4CVのRR(リアエンジン・リアドライブ)方式から2CVと同様のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式に切り替える方針を決定。広いキャビンスペースを確保したうえで、有効な荷室空間とリアゲートを設定するためには、FF化の選択がベストと判断した。
ルノーの新世代ベーシックカーは、1961年9月開催のフランクフルト・ショーと翌10月開催のパリ・サロンで大々的に披露される。正式車名はR4(キャトル)とR3(トロワ)。通称“キャトル”と呼ばれた。キャッチフレーズには“どこへでも乗っていける旅行カバンのようなクルマ”と冠し、実用性と経済性の高さを声高に謳っていた。
キャトルの基本骨格には、新設計のプラットフォームフレームにスチールボディを組み合わせたモノコック構造を採用する。ボディタイプは4枚のドアとリアゲートを配した、いわゆる5ドアハッチバック。サスペンションにはフロントにダブルウィッシュボーン/縦置トーションバー、リアにトレーリングアーム/横置トーションバーをセット。リアの2本の横置トーションバーをできるだけ長くとり、かつボディ幅に収めるために前後に配置した結果、ホイールベースは右側が40mmあまり(後にカタログ表記などで50mmほどとなる)長くなった。ステアリング機構は操舵性に優れるラック&ピニオン式で、制動機構には十分な容量を持たせた前後ドラム式を設定。シューズには145-330サイズを装着した。
パワートレインはRRの4CV用をベースに、エンジン&トランスミッションをフロントに置き換えてFF化を実現。縦置き搭載のエンジンはtype680の747cc直列4気筒OHVユニット(R4)とtype690の603cc直列4気筒OHVユニット(R3)という2機種を設定する。エンジンの前に置かれたトランスミッションには3速MTを組み込み、シフトレバーは前方のトランスミッション本体から長い棒を介し、エンジンおよびバルクヘッドを越えてキャビン中央に配置した。
エクステリアは、クラス世界初の5ドアハッチバックの2ボックスフォルムを基本に、スマートなスタイリングに仕立てる。フロントマスクはルノーエンブレムを中央に組み込んだ独立タイプの縦桟基調グリルと丸目2灯式ヘッドランプで構成。ガラスはすべて平面タイプで、サイドはR4(R1120)とR3(R1121)が4ライト式、上級仕様のR4Lがリアクォーターガラスを配する6ライト式とした。
インテリアは、ドア部分に布、インパネの一部に樹脂パーツを配するものの、大半の箇所が鉄板むき出しの簡素な構成。シートはベースフレームに布張りとスプリングを組み合わせたハンモックタイプのシンプルな仕様だったが、実際の座り心地は見た目以上に良質だった。
FFレイアウトに5ドアハッチバックという合理的な設計を採用し、車両価格も低めに抑えたキャトルはたちまちユーザーの心をつかみ、販売台数を勢いよく伸ばしていく。上昇気流をさらに高めようと、ルノーは積極的に車種ラインアップの拡大と機構および内外装の改良を図っていった。
デビューした1961年の末には、リアセクションに箱のような荷室を配し、2ドア+リアゲートドア&ルーフ後端ハッチ(giraffe roof)で構成したコマーシャルカーのR4 fourgonnette(フルゴネット。R2102)を設定。1962年にはR3がカタログから外れ、一方で専用メッキバンパーや巻き上げ式リアゲートウィンドウ、クッション入りのシートなどを備えた最上級バージョンのR4 Super(シュペール。R1122)がラインアップに加わる。またR4 Superは、デビュー後まもなく搭載エンジンをtype800-02の845cc直列4気筒OHVユニットに換装し、型式もR1124となった。さらに同年中には、4WD仕様のSinparがデビューする。
1963年になると、R4 SuperはR4L Super(R1123)へと切り替わり、ホールディング機構付きリアシートなどを新装備した。1965年には、R4のネーミングからルノー4へと変更。同時にグレード名は旧R4がLuxeに、旧R4LはExportに切り替わる。1966年には、キャトルの生産台数が早くも100万台に到達した。1967年になると、トランスミッションに4速MTが設定される。また、1968年モデルとしてフェイスリフトを実施。丸目2灯式ヘッドライトを組み込んだアルミ製の格子グリルや新デザインのバンパーなどを採用して外装イメージを刷新した。
キャトルの改良は、1970年代に入っても鋭意続けられる。まず1970年には、電装系を6Vから12Vに一新。フロントシートベルトも最新の安全タイプに切り替わる。1971年には、ベーシックエンジンを747ccから782ccへと拡大(type839-06)。また、845ccエンジンを搭載する新fourgonnette(R2108)も設定した。1972年にはキャトルの基本コンポーネントを使った新世代コンパクトカーの5(サンク)が登場するものの、当初のボディタイプは3ドアハッチバックのみだったため、5ドアハッチバックの4は継続して販売が行われる。1974年になると、再びフェイスリフトを実施。樹脂製のブラックグリルなどを装備した1975年モデルに切り替える。さらに翌1976年モデルでは、乗用タイプの車種設定をLとTL、そしてこの年にカタログモデル化されたSafari(サファリ)という3タイプで構成した。
1978年になると、1108ccエンジン(type688-12)を搭載する旗艦グレードのGTL(R1128)がラインアップに加わる。走行性能を引き上げるとともに、フロントグリルやバンパー、ドアノブなどをグレーで統一し、さらに横線を刻んだ厚みのあるサイドモールを装備して外観のイメージアップを図ったGTLは、Renault 4に新たな魅力をもたらした。さらに同年中には、荷台を設けた商用モデルのピックアップも設定。翌1979年には、一部fourgonnetteを除く車種にラジアルタイヤを標準で装備した。
ちなみにキャトルは、デビュー当初からグローバルで展開する世界戦略車としての役割も担っていた。生産国は多岐に渡り、欧州では本国のフランスのほかにベルギーやイタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、旧ユーゴスラビア(現スロベニア)で実施。ほかにアフリカのモロッコやアルジェリア、中米のメキシコ、南米のコロンビアやチリ、アルゼンチンなどでも製造された。
1980年代に入っても、キャトルのリファインは続けられる。1980年には、新しいスイッチ類を組み込んだ新造形のインパネに刷新。1982年には、そのインパネがRenault 5と共通化される。1983年になると、フロントブレーキをディスク化して制動性能を強化。1986年にはTLグレードのエンジンを956ccユニットに換装し、グレード名はTL Savaneに、さらにGTLは一部仕様を変更したうえでグレード名をClanに変更した。
1990年代に入ると、キャトルに新たな課題が圧しかかる。世界的に厳しくなる環境問題と安全対策への対応だ。基本設計が約30年前と非常に古い同車にとって、この課題に対処することは困難だった。最終的にルノーは、3ドアハッチバックながら実質的な後継モデルとなるトゥインゴのデビューに合わせて、キャトルの生産中止を1992年に発表。約31年間に渡って生産された台数は813万5424台にのぼり、単独車種でフランス車の過去最高、世界規模で見るとフォルクスワーゲン・タイプI(ビートル)とフォード・モデルTに続く第3位という偉業を成し遂げたのである。