レックス・スイングバック 【1978,1979,1980,1981】

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排気ガス対策を見事に達成したレックス550

 1976年1月の規格改定によって、エンジン排気量が360ccから550ccへ、全長×全幅×全高が3000×1300×2000mmから3200×1400×2000mmへと変更された軽自動車。この改定に合わせ、軽自動車を開発するメーカーは、段階的に新規格に対応していく。
 スバル360を生み出し、その後にR2、レックスへと切り替えていった富士重工(現SUBARU)は、1977年5月にEK23型544cc直2OHCエンジン(31ps/4.2kg・m)を搭載した“レックス550”を市場に送り出す。リアエンジンフードには誇らしく“REX550”のバッジを装着。最も厳しいとされた昭和53年排出ガス規制も、SEEC-TとEGRの組み合わせでクリアしていた。
 デビュー当初は2ドア/4ドアセダンの車種展開だったレックス550。しかし、市場からは「荷室の使い勝手が悪い」という評判が沸き起こる。当時は小型車カテゴリーで2ボックスのハッチバック車が相次いでデビューし、市場でその利便性の高さが注目を集めていた時期で、同じ2ボックススタイルである軽自動車にも同様の装備を求める声が急速に高まっていたのである。

ガラスハッチという付加価値

 ユーザーの要望に対し、富士重工の開発陣は上ヒンジ式のガラスハッチで対応する。レックス550はリアエンジン方式だったので、ゲート全体の開閉は困難。しかし、リアガラスだけの開閉なら問題はない。また、荷室フロア面はエンジンのために高めに設定されており、ガラスハッチだけでも十分に荷物の出し入れができる--。最終的に開発陣は、リアガラスを強化し、その上部2カ所にヒンジを、右側にダンパーを設けたガラスハッチを完成させた。さらに運転席側にはリアウィンドウ・オープナーを設置し、ガラスハッチの使い勝手をより一層高める工夫を凝らす。荷室自体には、カーペットやガードバーなども装備した。

ボディ名称は“スイングバック”

 ガラスハッチを備えたレックス550は、“スイングバック”という専用ネーミングを冠して1978年2月に発表(発売は3月)される。グレード展開はセダンと同様で、最上級グレードのAIIG、上級仕様のAII、ベーシックモデルのAIをラインアップ。エンジンは全グレードともにEK23型で、トランスミッションには4速MTを組み合わせていた。
 スイングバックのアピールポイントは、積載性の高さにあった。リアのラゲッジスペース容量は、後席使用の4名乗車時で約170L、後席のシートバックを倒した際は約400Lを実現。さらに助手席シートバックを前倒しすると、最大2.5mもの長尺物を積み込むことができた。また、ボンネット下には約110Lのフロントトランクルーム、インパネ下部には室内幅いっぱいのラゲッジシェルフを配置する。高い積載性とガラスハッチの使いやすさは、スイングバックの大きな特徴だった。

 走りの面に関しても、スイングバックは好評を博す。燃費性能は軽自動車トップクラスの10モード走行21.0km/L、60kmh定地走行28.0km/lを達成。低中速トルクも厚く、街中では俊敏な加速を演じる。当時の軽自動車としては贅沢な機構といえる四輪独立懸架の足回りも、優れた乗り心地とロードホールディング性能を発揮した。

軽自動車販売台数の回復

 富士重工は1970年代中盤から後半にかけて“ちびコロジー”という軽自動車を見直すキャンペーンを行い、さらにレックス550に利便性の高いスイングバックを設定した効果で、1978年度には軽自動車の販売台数が10万台の大台を回復する。この勢いを維持しようと、富士重工は1979年3月に新鮮味を与えるマイナーチェンジを実施。この機に、車名から550が外されて“レックス”の名称に戻った。
 1979年5月になると、鈴木自工から軽ボンバンのアルトがリリースされ、軽自動車の世界は低価格志向に突入する。その状況下で富士重工は、まず1979年10月に廉価版の“ファミリー・レックス”を発売。翌1980年3月には、女性ユーザーを意識したオートクラッチ付きモデルと充実装備のスイングバックAIILを加える。そして1981年9月には、フロントエンジン&フロントドライブの新機構を採用するレックス・コンビ(商用車)とレックス・セダン(同年10月発売)にフルモデルチェンジした。新型のリアハッチは、ゲート全体で開閉する一般的な方式に変更される。この時点でユニークなガラスハッチのスイングバックは、 “過去の便利機能”となってしまったのである。