コロナ 【1960,1961,1962,1963,1964】

“打倒ブルーバード”を掲げた渾身セダン

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


ダットサンの厚い壁

 1950年代後半における日本の小型車市場は、日産自動車がリリースするダットサン110型系(1955年2月発表)や210型系(1957年11月発表)、さらにブルーバードの車名を冠した310型系(1959年7月発表)に席巻されていた。最大のライバルであるトヨタ自工は、クラウンの足回りやマスターの車体を流用して短期間で造り出したST10型系トヨペット・コロナを1957年7月にリリースする。しかし、ST10型系は耐久性の欠如やエンジンのパワー不足などが災いし、販売成績はダットサンに大きく水をあけられた。

 ST10型系が苦戦を強いられる最中、トヨタ自工はゼロから設計した本格的な小型車の開発に心血を注ぐ。ボディ構造は研鑽を重ねてきたユニフレーム型を採用。サスペンションには新機構を取り入れ、フロントにトーションバーを用いたウィッシュボーン式を、リアにリーフとコイルを併用したカンチレバータイプの4リンク式を組み込んだ。搭載エンジンは改良版のP型997cc直4OHVで、パワー&トルクは45ps/5000rpm、7.0kg・m/3200rpmを発生。燃料供給装置には、ツーバレルキャブレターを設定する。また、エンジンフードには整備性に優れ、しかも走行中に開くおそれのない前ヒンジ式を採用した。

2代目は斬新スタイルとシャシーで登場

 開発陣は、内外装の演出にも徹底的にこだわる。スタイリングに関しては、“だるま”と呼ばれたST10型系から一変。直線を基調とした最新の欧州流デザインを取り入れ、低い車高(ST10型系より115mmも低い1440mm)やパノラミック型フロントウィンドウ、傾斜をつけたセンターピラーなどでアレンジした。インテリアは、ユニフレームの採用による低いフロア面やウィンドウ面積の拡大などによって、広くて快適な室内空間を実現する。さらに、オールラテックス入りフロントシートやコーン型のステアリング、帯状に変化するスピードメーター、6つボタンプッシュ式のオートラジオ、シガーライターおよびアシュトレイ、強力モーター使用のワイパーといった新装備を設定した。

 2代目となる新しいトヨペット・コロナは、PT20の型式を冠して1960年3月に発表、翌4月に市販される。発表の前月には国産車初の“ティザーキャンペーン”(ティザーは“じらし”の意味)も実施され、「新しくないのは車輪(タイヤ)が4つあることだけ!」というキャッチコピーとともにクルマのシルエットだけを露出するという広告を展開した。

「弱いクルマ」の解消に向けて−−

 発表会が行われた東京都体育館には約10万人もの来場者が訪れ、市場での大きな注目を集めた2代目トヨペット・コロナ。デビュー当初は自動車マスコミ界から“進歩的”と評価され、販売成績も好調だった。
 しかし、しばらくすると悪夢が訪れる。ドアの取り付け不良(センターピラーが傾斜していたために取り付けに工夫を要した)により雨漏りが起こるという噂が広まったのだ。また、PT20型系は短いスケジュールで作られた新しいラインで生産されたため、初期トラブルも多く発生してしまう。さらに追い討ちをかけるように、タクシー業界からは後輪のカンチレバー式サスペンションが「耐久性がない」と不評を買ってしまった。これらの結果、いつしか2代目コロナには「弱いクルマ」というレッテルが貼られるようになる。

 不評を解消しようと、トヨタ自工の開発陣は懸命の改良を行っていく。1961年3月にはR型1453cc直4OHVエンジンを搭載したRT20型系を発売。1962年3月になるとマイナーチェンジを実施し、リアサスペンションを一般的なリーフ式に変更する。同時に、フロントサスペンションのスタイビライザー径の拡大やブレーキ運動部の改良(ワイヤ→ロッド)、タイヤ系のアップ(13→14インチ)なども敢行した。これらの改良を市場にアピールするために、トヨタ自工は“トーチャーキャンペーン”(トーチャーは拷問や酷使の意味)を展開。悪路を疾走したり、ドラム缶を蹴散らしたり、崖から転がり落ちて再び走り始めたりする姿を、全国に放映する。また、開発陣はコロナのイージ−ドライブ化も積極的に行い、1962年11月にはサキソマット(自動クラッチ仕様)を、1963年8月にはトヨグライド(オートマチック仕様)を設定した。

コロナの失敗で学んだ大切な教訓

 開発現場から宣伝まで、全社あげての努力の結果、コロナの評判は徐々に回復していく。そして、1963年5月に開催された第1回日本グランプリのC-5クラスでコロナが1〜3位を独占して以降、「弱いクルマ」の声は市場からほとんど聞かれなくなった。

 トータルで見るとダットサンの後塵を拝し続けた2代目トヨペット・コロナ。しかし、初期トラブルの教訓は後の品質管理運動に生かされ、またレースでの好成績は市場でのイメージアップにつながった。もし、2代目コロナの失敗と克服過程がなければ、初のダットサン越えを果たすことになるRT40型系の3代目コロナ(1964年9月デビュー)は生まれなかったかもしれない。その意味で、2代目コロナはトヨタ自工にとって“偉大なる失敗作”なのである。