セリカ・カムリ 【1980,1981,1982】
走りの個性を鮮明にしたFRスポーツセダン
段階的に強化された排出ガス規制、1979年のイラン革命に端を発した第二次オイルショックなど、度重なる困難を何とか克服したトヨタ自動車工業は、1980年代に向けて車種展開の強化に力を入れる。その基本戦略の1つに据えたのは、ひとつのシャシーを使って複数の新型車を造り、販売ディーラー別に多用なユーザーに対応できるフルラインアップを構築することだった。
そんな状況のなか、主力ディーラーであるカローラ店系列からミディアムクラスの上級スポーツセダンの設定を要望される。カローラから上級車種に移る際の受け皿を増やすのが目的だ。しかし、排出ガス対策などに追われて予算が限られた1970年代末のトヨタ自工にとって、ゼロから新開発した新ミディアムサルーンを開発するには無理があった。そこで開発陣は、既存の車種を使って内外装を作り変える方針を決定する。ベース車として白羽の矢を立てたのは、1977年8月にデビューしていた2代目カリーナの4ドアモデルだった。
開発陣は早速、内外装のイメージチェンジに着手する。ディーラーが把握しているユーザーの希望は、「スポーティなイメージのミディアムセダン」だった。そこで造形部門は、カローラ店で販売していた随一のスポーツモデルであるセリカのディテールに範をとる決断を下す。フロントグリルはセリカXX(そして名車2000GT)と同様にメッキのT字バーを配置。精悍なホイールデザインも、セリカと共通だった。ちなみにベースとなったカリーナは、セリカと基本メカニズムを共用する兄弟車だった。カリーナはセリカとあえてイメージを変えるため、専用ディテールを採用していたが、それをセリカのイメージで統一する事は、比較的たやすいリファインといえた。
基本プロポーションは低く構えたスラントノーズにトランク後端部を高くしたヒップアップテール、逆Rをつけたリアエンドなどにより空力特性に優れたウエッジシェイプを創出。さらに、角型2灯式のヘッドランプやサイドまで回り込ませたリアのコンビネーションランプ、直線的なサイドラインによって、シャープかつ精悍なスタイリングを強調した。
インテリアは、スポーツセダンにふさわしい運転のしやすさと高品質感を追求する。ダッシュボードはサイドのドアトリムとともにベルトラインを低く抑え、合わせて細身のCピラーや広いガラスエリアを配して、ワイドかつ死角の少ない全周視界を実現。計器盤は木目調パネルのクラスター内に大型の速度計と回転計、三針式クォーツクロック、置針式フューエルゲージ、AM/FMラジオを見やすく配備する。また、前席にはホルード性に優れ座り心地もいいバケット調のファブリック(ニット)表皮シートを装着。上級グレードにはチルトステアリングも組み込んだ。内装色に関しては、シートおよびドアトリムに同系色で濃淡をつけたツートンカラーを採用し、お洒落で華やかな雰囲気を演出した。
パワーユニットには入念な排出ガス対策を施した13T-U型1770cc直列4気筒OHVエンジン(最高出力95ps/5400rpm、最大トルク15.0kg・m/3400rpm)と12T-U型1588cc直列4気筒OHVエンジン(同88ps/5600rpm、13.3kg・m/3400rpm)の2機種を設定。トランスミッションには5速MT/4速MT/3速度ATを用意する。懸架機構には専用セッティングの前マクファーソンストラット、後ラテラルロッド付4リンクを採用。操舵機構はボール・ナット式で仕立て、上級グレードにはパワーステアリングをオプションで設定した。
1980年1月、「都市型スポーティセダン」のキャッチフレーズを冠した新しいミディアムサルーンがカローラ店のショールームに並ぶ。車名は開発過程をそのまま表すように、セリカの名を使いながら“冠”を意味するサブネームの「カムリ(CAMRY)」を加えて「セリカ・カムリ」と名乗った。
13T-Uエンジン搭載の1800XT/1800LT、12T-Uエンジン搭載の1600XT/1600LTという4グレード構成でスタートしたセリカ・カムリに対して、クルマ好きは当初、「セリカの名を冠しているのだから、走りもスポーティだろう」と想像していた。しかし、その期待は残念ながら裏切られた。カリーナ譲りのしなやかな乗り心地は味わえたものの、当初の1.8Lと1.6Lエンジンはいささか非力で加速が今ひとつ。ワインディングでのハンドリングも反応が鈍かった。やがて「これはセリカじゃない」という声がユーザーから発せられるようになる。トヨタ自工もこの評価は折り込み済みだったようで、実はとっておきのモデルを隠していた--。
1980年8月、セリカ・カムリに「スポーティからスポーツへ」を謳う最上級グレードが追加される。18R-GEU型1968cc直列4気筒DOHCエンジン+EFI(電子制御燃料噴射装置)のツインカムユニットを搭載した2000GTだ。最高出力は135ps/5800rpm、最大トルクは17.5kg・m/4800rpmを発生し、トランスミッションには5速MTをセット。しかもこの2000GTには、前マクファーソンストラット、後セミトレーリングアームという四輪独立懸架の足回りが組み込まれていた。さらに強化ダンパー&スプリングや185/70HR14スチールラジアルタイヤ、ブースター付き4輪ディスクブレーキ、クイックステアリング(バリアブルギアレシオ17.5~20.5)も採用。走りを支えるスペックは完璧だった。
装備も充実していた。衝撃吸収ウレタンバンパーやハロゲンヘッドランプ、色分け合わせフロントガラス、ランバーサポート/上下アジャスター機構付きバケットシート、後席センターアームレスト付リクライニングシートなどを標準で装備していた。
ほかにも、21R-U型1972cc直列4気筒OHCエンジン(最高出力105ps/5200rpm、最大トルク16.5kg・m/3600rpm)にOD付4速ATまたは5速MTを搭載したラグジュアリースポーツの2000SE、EFIを装備した3T-EU型1770cc直列4気筒OHVエンジン(同105ps/5400rpm、最大トルク16.5kg・m/3600rpm)にOD付4速ATまたは5速MTを搭載するリーズナブルなスポーツグレードの1800SXを設定。2モデルともに2000GTと同形式の四輪独立懸架の足回りを組み込み、運動性能と乗り心地を高めていた。
スポーツアイテムを満載した2000GTは、セリカの名に恥じない俊敏なパフォーマンスが楽しめた。加速は鋭く、コーナリング時の路面追従性も向上。しかも四輪独立懸架の効果で乗り心地が意外なほどよかった。当初の都市型スポーティセダンというキャッチフレーズは、2000GTのデビューでようやくクルマ好きから認められるようになったのである。
セリカ・カムリは2000GTのデビューと同時期に新販売チャンネルのビスタ店での取り扱いも開始され、2系列からのリリースとなった。販売成績は堅調だったが、ベース車のカリーナが1981年9月にフルモデルチェンジしたこともあり、早くも1982年3月にはブランニューモデルのビスタと主要コンポーネントを共用した第2世代の新型に切り替わってしまう。新型は、セリカの名が外れ「カムリ」の単独ネームとなった。クルマのキャラクターもスポーティからラグジュアリーサルーンへと変貌し、その後はトヨタの国際戦略車として位置づけられるようになる。
販売期間は2年2カ月あまりと短命に終わったセリカ・カムリ。しかし、カムリ史上で唯一のFR(フロントエンジン・リアドライブ)レイアウトで、かつ最もスポーツ志向なモデルだったことは間違いない。歴代カムリのなかでいちばん個性的で、同時に走りが楽しいFRセダンの名車--。それがセリカ・カムリだった。