特殊車両03 【1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990】
独自の技術開発と海外展開
主力製品がブルドーザーから油圧ショベルへと変わり、海外展開も積極化させていた小松製作所。1970年代末までには、名実ともに日本の建設機械のトップメーカーに成長していた。
同社のキャッチアップの動きは、1980年初頭にひとつの区切りをつけることになる。それまでの海外技術の追随から“独自開発”へと方針転換したのである。従来は油圧ショベルやホイールローダを開発する際、一定のメカニズムにおいて提携企業先とライセンス契約を結び、先進技術を導入していた。しかし、この契約には輸出制限が付随しており、小松にとっては輸出戦略推進の障害ともなっていた。
1980年代に向けて輸出を拡大させるためには、自社の技術開発力の強化は必要不可欠である。この方針のもとに、小松は提携企業とのライセンス契約を打ち切り、独自の技術開発へと乗り出す。従来支払っていたライセンス契約のロイヤリティは、さらに金額が上乗せされて開発資金へと投入されるようになった。
小松が最も力を入れたのは、メカトロニクスを駆使したエンジン制御システムの開発である。当時としては最先端のマイコンを組み込み、各機能に則した緻密な制御が行えるように創意工夫を凝らした。その苦心の結果は「電子OLSS(オープン・センター・ロード・センシング・システム)」へ結実し、建設機械に組み込まれるようになる。
小松の新しい技術は、1981年1月にアメリカのヒューストンで開催された世界最大の建機展示会、「CONEXPO'81」で大々的に披露される。同社のブースにはマイコンを内蔵した大型ダンプトラックやブルドーザーなど全12機種を展示。新規に開発した珠玉の製品群は、世界中の建機関係者から熱い視線を浴びた。小松製作所独自の先端技術、さらにいえば日本の建機開発における技術力の高さは、この時に世界中に発信されたのである。
小松はCONEXPO'81以降もエンジン制御システムの開発を積極的に推し進め、量産化に向けて制御の緻密化や適合を積極的に行っていく。その努力が生かされた量産主要製品を見ていこう。1984年にデビューした油圧ショベルPC-3型シリーズは、世界初のエンジン制御システムである電子OLSSを搭載した量産モデル。従来のPC-2型に比べて緻密なコントロールが可能となり、建設現場では大きな話題を呼んだ。1988年になると、発展型の電子OLSSを組み込んだ油圧ショベル・アバンセシリーズが登場する。重掘削、掘削、整正、微操作という4つの作業モードのいずれかを選択すると、自動的に最も効率のいいエンジンパワーに設定された。
小松はエンジンの電子制御化と同時に、建機自体のデザインにも力を入れる。他社とは違った、先進メカニズムの搭載を表現する個性的なスタイルを目指したのだ。その代表作といえるのが、ブルドーザーD375A型である。
小松としては初めてイタリアのデザイン会社に依頼した同製品のルックスは、従来のブルドーザーにはないスタイリッシュさと力強さが融合していた。1987年に登場した超小旋回油圧ショベルのPC50UU-1型も斬新なスタイリングで話題を呼んだ製品だ。配管やコントロール機構などをコンパクトに、しかもすっきりと収めたデザインは、主要な現場である都会の風景にもよく馴染んだ。そのデザイン性は識者からも高く評価され、1987年度のGマーク通産大臣賞を受賞している。
独自の技術とデザイン性に磨きをかける小松製作所。しかし、外的要因が同社の経営戦略に変化をもたらす。1985年9月に発表されたドル高修正における協調介入の強化策、いわゆる「プラザ合意」だ。従来の1ドル250円は一気に100円台に突入し、輸出産業は大きな打撃を受けた。
この状況に対して小松は、従来のアジアに加えて欧米での現地生産化の計画を加速させる。1986年5月にはアメリカ工場の建設がスタート。翌月にはイギリスのバートレー工場が完成する。同年8月にはドイツに小松インダストリーズヨーロッパを設立した。
ハイテク建設機械の開発と現地生産化を推し進めた1980年代の小松製作所。日本トップの建機メーカーは、1990年代に向けてさらなる変化を遂げることになる。