カーオーディオの歴史01 【1948-1970】

カーラジオの普及とステレオの開発

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1930年に米国で最初のカーラジオ誕生

 自動車はとっておきのプライベート空間である。クルマのなかで、好きなラジオ番組や音楽を楽しむことを、なによりの楽しみとしているドライバーは多い。この傾向はクルマの黎明期から変わらない。たとえば米国で最初のカーラジオが制作されたのは1930年、モトローラ5T71型だった。1936年にはゼネラルモータースの子会社のデルコ・エレクトロニクスがダッシュボード埋込型ラジオを開発し一気にカーラジオが普及する。

 以来、ラジオなどのカーオーディオはクルマの必須アイテムとして発展していくのだが、モーターリーゼーションの発展が遅れた日本では、カーラジオの歴史がスタートするのは戦後のこと。現在のクラリオンの前身である帝国電波が1948年に開発した1号機がはじまりだ。

1950年代、国産車にカーラジオが普及

 帝国電波は1951年に日野ルノーの純正ラジオ「ル・パリジャン」を開発。1958年6月にはアメリカ向けの輸出も開始するなど、カーオーディオ・メーカーとして着実な歩みをはじめる。関西の富士通テン(当時の神戸工業)も1955年に初代クラウン用ラジオの生産をスタートさせ、その数ヶ月後にはアフターマーケット用製品の販売をスタートさせた。
 現在でこそカーオーディオの装備は当たり前だが、乗用車の生産が本格化した1950年代は超贅沢品だった。最上級グレードになるとやっと標準装備される程度で、ほとんどの車種の場合、ユーザーが購入後に装着するのが一般的だった。ちょうど現在のカーナビゲーションと同様の贅沢アイテムと考えると理解しやすい。

 ブランドはクラリオン(帝国電波)、テン(神戸工業)、ナショナル(松下通信)といったところが有名で、デザインは横長の長方形。右側のボタンがスイッチ、左側がチューニングボタン、中央に局選択用プリセットボタンを備えるのが一般的なレイアウトだった。

 廉価版はプリセットボタンがなく左側のチューニングボタンで局設定をするマニュアル方式となった。また簡単にクルマから取り外しが出来、社外でも使えるポータブル兼用タイプも人気を博した。回路には最新トランジスタが用いられ、安定した感度と豊かな音質をそれぞれのブランドが競い合った。

FMラジオの登場で音質向上

 ラジオの価格は1961年のナショナルのカタログを参考にすると高級型の6ツボタン式ラジオ(AT-353型)で2万6900円。最も安い標準型マニュアル式ラジオ(AT-368型)でも1万5600円もした。当時の物価水準と照らし合わせると相当な高額商品である。もちろん当初は中波専用だった。

 1960年代後半になるとラジオは中波だけでなくFMも受信できるものも増える。1967年に発表されたトヨタ2000GTはFM付きラジオが標準装備である。FM放送は、音楽主体の落ち着いたプログラムが多く、放送もステレオだったので、クルマのリスニングブーム化に拍車をかけた。ちなみに日本でのFM放送は1963年12月に東京地区でNHKが試験放送を開始し、1964年には全国規模で試験を実施、1969年3月に本放送がスタートしている。

クルマのリスニングルーム化スタート

 ラジオのFM化とともに、大きな流れとなったのがカーステレオである。クラリオンは1963年に日本初のカーステレオを開発。テンも1967年に8トラック式カートリッジ式テープデッキを発売した。市場は一気にカーステレオの時代になる。

 当初は4トラック式もあったが、8トラック式が発売されると8トラック式が主流となった。8トラック式とは、音楽を収録した8トラックのカートリッジ式テープを再生するシステムで、トラック数が多いため長時間再生が可能だった。ただし音楽を楽しむには別売りの8トラック音楽ソフトを購入する必要があり、そこがネックだった。カーステレオ本体だけでも3万5000円前後が必要で、音楽ソフトは20曲入りで3200円程度もした。しかもソフトは1本で済むわけがない。いくら音楽マニアでも財布の余裕には限度があった。

 1968年にはクラリオンが通常のカセットテープが再生可能なステレオデッキを発売すると、市場の流れは8トラック式から、通常のカセットテープへと転換する。通常のカセットテープなら、市販ソフトだけでなくオリジナルテープの再生も可能だったからだ。音楽は個人それぞれの趣味指向の範疇である。好みに応じたオリジナルテープを楽しめるのは大きな魅力だった。

 クルマを生活の中心に据えていた若者は、カセットデッキの発売以降、コンパクトカーや軽自動車であってもカーステレオを装備するのが一般的になった。それはクルマが単なる移動手段ではなく、パーソナルな個室になったことを証明していた。