首都高速道路の歴史05 【1991〜2009】

都心を走るトンネルエクスプレスウェイ

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首都高速中央環状新宿線のトンネル化

 東京都心部の首都高速の交通量が急激に増え、渋滞が深刻化した1980年代後半。時の政府や省庁、そして公団はその打開策として新環状ルートの建設を積極的に進める方針を打ち出し、都市計画法や東京都環境影響評価条例などに基づく手続きを経て、1991年3月に首都高速中央環状新宿線の建設に着手した。

 区間は東京都目黒区青葉台4丁目から東京都板橋区熊野町までの11km。首都高速3号渋谷線から4号新宿線、そして5号池袋線までを結ぶこの路線は、工事の際の山手通り(環状第6号線)の渋滞や周辺の環境保全などを鑑みて、地下の走行ルート=トンネルウェイをメイン(区間全体の89%)に建設されることとなった。

最新技術と環境保全を重視した工事

 トンネル工事に関しては、地下30m以上の深い位置に、最新の「シールド工法」を主に用いて建設する旨が決定される。
 従来の都市内道路トンネルは、地上から掘り下げていく「開削工法」が一般的だった。しかし、今回のルートは都内屈指の交通量の多さを誇る山手通りで、周辺状況を考えると交通渋滞はできるだけ避けなければならなかった。さらに山手通りの地下には電気、ガス、通信、上下水道といったライフラインや鉄道11路線などが網の目のように交差しており、開削工法では莫大な費用と時間がかかることが予想される。そのため、トンネルの位置はできるかぎり限り深く、しかも最新の工法を使って建設することがベストと判断されたのである。

 トンネル区間の約7割で採用されたシールド工法は、直径約13m、重量約3000トンの巨大シールドマシンを使って地中を横に掘り進む方式で、トンネル堀りとトンネル壁の構築を同時に行えるというメリットを持つ。地上での作業は、基本的に発進到達基地となる立抗のみで済む仕組みだ。また掘進延長の短いものはシールドマシンをUターンさせることで対処でき、結果的に工費と期間の短縮につなげられるのである。

 実際のシールドマシン使用の概要は、西新宿シールド(掘進延長600m×2)/本町シールド(同770m×2)/東中野シールド(同520m×2)/上落合シールド(同570m×2)/中落合シールド・内回り(同2020m)/中落合シールド・外回り(同2020m)、そして首都高速4号線から南側の大橋シールド(同430m×2)/代々木神山シールド・内回り(同2650m)/代々木神山シールド・外回り(同2650m)となる。このなかで×2と記載したものが、Uターン方式を採用したシールドだ。

 ちなみに、今回のトンネル工事で最も大変だったのは“ミリ単位”で課せられた正確な掘進作業だったという。たとえば中野坂上交差点付近の掘進では、地下鉄丸ノ内線との間隔をわずか2mで進めたそうだ。それでも地下鉄トンネルの沈下量は、当初予測の1.5mmより小さい1.2mmに抑えた。世界屈指といわれる日本のトンネル技術は、首都高速中央環状新宿線の工事でも存分に発揮されたのである。

2009年に渋谷(大橋)まで延長

 最新のトンネル工法が遂行された首都高速中央環状新宿線は、2007年12月に首都高速4号新宿線から5号池袋線の約7kmのルートが開通する。開通時の名称は「山手トンネル」。従来の山手通りの地下を走っている事実が、端的に表れたネーミングを冠した。

 山手トンネルの自慢は何もその距離の長さだけではない。国内最先端の防災安全装備も、同トンネルの大きな特徴である。道路状況を映すテレビカメラは約100mの間隔で設置。その映像は、24時間体制の管制室に送られる。また管制室では、遠隔操作による各機器の的確な制御を可能とした。火災への対策も万全で、約25m間隔で設置した自動火災検知器と水噴射設備、さらに信号機と連携したトンネル掲示板や十分な容量を確保した換気所などを設けている。

 山手トンネルは平成21年(2009年)度中には首都高速3号渋谷線とつながり、全線が開通する。新宿、渋谷、池袋の3大副都心を高速で結ぶ新ルートで都心の大動脈が充実した。