フェアレディ300ZX 【1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

ハイテクを満載したスーパーZ-CAR!

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901運動を背景にした開発

 好景気に沸く1980年代後半の日本の自動車業界。豊富な開発資金を背景に、各メーカーは自慢のハイテクを駆使した新型車を相次いでリリースしていく。
 なかでも日産の取り組みは積極的だった。パイクカーやハイソカーなどの大ヒットで売り上げを伸ばし、既存ブランドのフルモデルチェンジも矢継ぎ早に実施していく。さらに、1985年6月に社長に就任した久米豊の大号令のもと、「1990年代には技術の世界一を目指す」という“901運動”の旗印を掲げ、設計や開発部門などで大々的に展開されていた。
 901運動の中で、とくに重視されたのが「ハイテク技術の集合体」という性格を帯びるスポーツモデルの開発である。どんなクルマよりも速く、シャシー性能が高い。しかも、その高性能を秘めている事実がスタイリングからもわかる--。この方針は、そのまま次期型フェアレディZの開発へと移行され、やがてR32型スカイラインとともに901運動の象徴となっていった。

 新世代フェアレディZを企画するに当たり、開発陣は一端すべてを白紙に戻し、ゼロの状態から理想的なスポーツカーを模索する。そして得られた結論は、「走り」の機能の純粋な追求だった。この走りとは、単に速さだけを示しているのではない。アクセル操作に俊敏に反応し、しかもシャープに吹け上がるエンジン、ステアリングに舵角を与えたときのリニアなノーズの動き、緻密に動いて剛性も高いサスペンションなど、ドライバーがスポーツドライビングを心底楽しめる「走り」を目指したのである。

国産乗用車初の280馬力を実現

 4代目に当たる新世代のZ32型フェアレディZは、まず1989年5月にアメリカで市場デビューを果たし、その2カ月後に「スポーツカーに乗ろうと思う」というキャッチフレーズを冠して日本に投入される。ボディタイプは2シーターと2by2を用意。アメリカ市場で人気の高いTバールーフ仕様も設定された。

 Z32型でユーザーが最も注目したのは、901運動の具体的な表現となるメカニズムだった。エンジンはシリンダーブロックやクランクシャフトを新設計し、ツインインテーク/ツインエグゾースト・システムなどの新機構を組み込んだVG30DE型3L・V6DOHC24Vと、これにツインターボ&インタークーラーを加えたVG30DETT型を搭載する。VG30DETT型は当時の国産車の最高スペックである280psの最高出力を発生した。シャシー面では専用チューニングの四輪マルチリンクサスペンションに先進の後輪操舵システムである“スーパーHICAS”を装備(VG30DETT搭載車)し、ブレーキにはフロント対向4ピストン/リア対向2ピストンの四輪ベンチレーテッドディスクを採用する。
 新デュラスチールやアルミ材を多用したボディ、キャビンフォワード/ショート&タイトオーバーハング/ワイド&ロープロポーション/コーンシェイプで構築したスタイリング、スポーティで質感の高いコクピット、チタン製のイグニッションキー、アルミ材の車載ジャッキなども注目を集めた。

異例のロングライフに

 バブル景気の波に乗り、デビュー当初のZ32型フェアレディZは好調な販売成績を記録する。車種バリエーションも増え、1992年8月には2シーターオープンの「コンバーチブル」を追加した。
 このままの勢いが続くかに見えた4代目Zカー。しかし、外的要因がそれを阻害する。バブル景気の崩壊やRVブームの到来だ。さらに、最大の市場となる北米でのスポーツカーに対する車両保料金の高騰で、フェアレディZの販売台数は大きく落ち込む。この傾向とリンクするように、日産自動車自体の業績も悪化の一途をたどった。

 しかし、会社の業績悪化やRVブームは4代目フェアレディZにとって、ある意味で幸運をもたらした。業績悪化によって開発資金は削減され、その資金もワゴンやSUV、ミニバンなどのRVに当てられたため、4代目の大規模なモデルチェンジが実施されなかったのである。結果的にZ32型フェアレディZは、細かな改良や車種追加(バージョンSの設定など)を敢行しながら、2000年9月まで生産が続けられる。その期間は実に11年あまり。歴代フェアレディZの中で最も長く、しかも高性能とインパクトが要求されるスポーツカーとしては異例の長寿命を記録したのである。