ランサー・セレステ1600GSR 【1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981】

空気を切り裂くスポーツクーペ

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ランサーのスペシャルティ登場

 1975年3月、三菱自動車工業(以下三菱)は新しいスペシャルティカーであるランサー・セレステを発売した。4ドアセダンのランサー系のコンポーネンツを流用し、スタイリッシュな2ドアハッチバックのボディを組み合わせたモデルだ。すでに三菱は2.0Lエンジンを装備したギャラン系にギャランGTOという2ドアクーペが存在しており、高性能な走りで高い人気を集めていた。セレステはひとクラス下に位置するスタイリッシュモデルだった。
 車名となったセレステ(Celeste)とは、青い空を意味する英語で、一部グレードが排気ガス浄化規制をライバルに先駆けてクリアしたことから、清浄な空気感をイメージさせたものだという。

独自の先進技術で排気ガス規制をクリア!

 セレステは1975年3月のデビュー時点から、1600MCA-GLの名で昭和50年排出ガス規制適応車をラインアップしていた。MCA-GLはエンジン本体の改良とともにサーマルリアクタ、EGR(排気ガス再循環装置)などでクリーンエアを実現。標準仕様の1597ccエンジン(100ps/14kg・m)と遜色のない92ps/13.3kg・mのパワーと優れたドライバビリティを誇った。さらに1975年11月には全車が昭和51年排出ガス規制に進化する。ジェントルなシングルキャブレター仕様(1597cc・86ps/1439cc・82ps)だけでなくスポーティーなツインキャブ仕様(1597cc・100ps)もクリーンエアを実現したことがビッグニュースだった。厳しい排出ガス対策で走りの喜びが失われるなか、昭和51年度排出ガス規制に適応したパワフルなツインキャブ仕様1600GSRの存在は、マニアの心を熱くした。

空気の流れを計算したエアロフォルム!

 セレステのシャシー・コンポーネンツは、4ドアセダンであるランサーのユニットをそのまま使っている。2340mmのホイールベースや前後のサスペンション形式などもランサーと同じである。しかし、共通するのはシャシー部分だけであり、スタイリングはランサー・セダンとは全く異なるものとなっていた。

 美しいフォルムは空気の流れを徹底的に計算し、長時間の風洞実験から生まれた。スタイリッシュなだけでなく、空気抵抗を最小限に抑えロードホールディングと操縦安定性にプラスをもたらすよう緻密に計算していた。とくにフロントバンパー下にスポイラー状のエアダムスカートを配したのが特徴で、エアダムスカートはエンジンルームの冷却性能向上、高速走行時のスタビリティアップなどさまざまメリットを生んだ。さらにボディ側面を思い切った台形デザインに仕上げたのは視覚的な安定感を演出するだけでなく横風の影響を受けにくくするための配慮だった。優れた空力特性と美しさを高次元で両立した三菱技術陣。そのデザイン手腕は冴えていた。

後席を畳むと広い荷室が出現

 インテリアもパーソナルカーらしくスポーティーなもので、インスツルメンツはドライバーを主としたレイアウトとされ、大径の速度計とエンジン回転計の他に四個の計器が横一列に並ぶ。時計とラジオを備えるセンターコンソールが標準装備となっている。ステアリングは3スポークのレザー巻きスポーツ型、シートもヘッドレストを付けたスポーツ・シートとなる。後部座席はファストバックのためにヘッドルームこそ十分ではないが大人でも何とか座れるスペースがある。シートバックを畳めば広い荷室が出現。リアゲートはドライバー席から開口できるオープナーが付いていた。
 駆動方式は、縦置きフロントエンジンによる後2輪駆動で、価格は最もベーシックな1400GLが83万3千円、トップグレードの1600GSRが96万7千円となっていた。

アメリカではプリムス・アローの名で販売

 1970年代初期からアメリカのクライスラー社との資本提携を進めていた三菱は、セレステのアメリカへの本格的な輸出を開始した。アメリカ市場への輸出名は「プリマス・アロー(PLYMOUTH Allow)」とし、搭載されるエンジンは1597ccに2バレルキャブレター1基の組み合わせのみの設定であった。アメリカ市場ではセレステの実用性の高さとクライスラーの強力な販売力との相乗効果で、特に若者を中心に高い人気を集めた。ちなみに1975年からモデル中期の1978年までの日本国内での販売台数は総計7万7702台であったと言う。