特殊車両の歴史1 第一期/1930-1960 【1930,1931,1932,1933,1934,1935,1936,1937,1938,1939,1940,1941,1942,1943,1944,1945,1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960】

「働くクルマ」の普及

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


国土のインフラを効率的に整備するうえで
必要不可欠なのが工事現場に従事するクルマ、
いわゆる特殊車両である。
日本では時の政府の富国政策のもとに
1930年代から本格的に使用され始めた。
世界屈指の建機メーカーであるコマツの歴史から
日本の特殊車両の変遷を振り返っていこう。
■日本での特殊車両の始まり

 特殊車両とひとことでいっても、その種類は使用方法や場所などによって様々に区分できる。建設機械ひとつとっても、油圧ショベル、ブルドーザー、ダンプトラック、トレーラーなど、色々な車両が存在するのだ。

 日本で特殊車両が本格的に使われ始めたのは、戦前の1920〜30年代ごろといわれている。国産トラックの量産化がようやく始まった最中、建設機械の先進国であるアメリカから10台ほどの本格トレーラーが輸入された。国産トラックよりも大型で多くの荷物が運べ、しかも故障が少ない米国製トレーラーは、現場の作業員から大好評を博す。

 その後もアメリカ製の特殊車両は続々と輸入され、やがて建設現場では欠かせない存在となっていく。「欧米に追いつけ、追い越せ」を掲げる時の政府、そして日本の工業界が、この状況を黙って見過ごすはずがない。特殊車両の国産化に向けて、業界は競い合うように開発・生産体制を構築していった。

 そのなかでも小松製作所(現・コマツ)の積極性は群を抜いていた。鉄の加工技術に優れ、1924年には市販プレス第1号の450t成形プレスを製作していた同社は、急ピッチで機械製作部門の体制を増強していく。1931年には国産第1号となる農耕用トラクターが完成。その後もトラクターの進化は続き、1938年には日本で初めてディーゼルエンジンを搭載する「D35トラクター」がリリースされた。

 トラクターと並んで小松製作所が力を入れたのは、建設現場の基礎工事を担うブルドーザーの開発だった。トラクターよりも大型で機構が複雑なブルドーザーの開発は、高い技術力を持つ同社でさえも困難を極めたという。開発陣の努力は40年代初頭に実を結び、まず牽引専用車の「ロケ車」に排土板を付けた特殊車両を製作する。43年にはロケ車と既存のトラクターの技術を生かし、新たに油圧土工装置を装着したG40ブルドーザー、「小松一型均土機」を完成させた。

 ブルドーザーはその後も進化を続け、「トイ車」「トロ車」「トヘ車」といった発展型を製作する。トロ車とトヘ車は試作で終わったが、トイ車は陸軍に納入された。ちなみに試作段階で終わったトロ車は、戦後に大活躍する「D50ブルドーザー」の原型となっている。

 新しい特殊車両の開発に驀進する小松製作所。しかし外的要因がそれを阻害した。戦局の悪化に伴う極端な物資不足である。開発車両は新しさよりも量産性や低コストが重視されるようになった。

■荒廃した国土の再建に向けて

 終戦を迎えた1945年、敗戦国である日本の産業界は壊滅状態となり、特殊車両を製作していたメーカーも休業を余儀なくされる。もちろん小松製作所も例外ではなく、従業員の一斉解雇に踏み切っていた。

 ここで特殊車両メーカーに追い風が吹く。深刻な食糧不足を打開するために時の政府が打ち出した「開墾5カ年計画」だ。農地を大々的に、しかも早急に開墾するためには農業機械の使用が必須で、政府はそのための予算を用意していた。機械製作のノウハウを持っていた小松製作所は政府に働きかけ、農耕用トラクターやそれに付随する専用器具の納入メーカーに指定される。解雇されていた従業員の一部が戻り、再び特殊車両の生産が始まった。ちなみにこの時に農林省が求めたトラクターの台数は6000台余で、小松製作所一社ではまかないきれない量だった。そのため首脳陣はG25トラクターの製作図面を他社に公開し、分担で目標台数のトラクターを生産したのである。

 農耕用トラクターの生産で戦後復興の第一歩を踏み出した小松製作所は、国土の再建に貢献する建設機械の分野でも徐々に力を発揮していく。1947年には「D50ブルドーザー」1号機が完成。翌48年にはディーゼルエンジンの生産が始まった。

■建設機械の急速な進化

 1950年代に入ると、特殊車両の生産は飛躍的に伸びていく。さらに、現場に則した新たな機械も製作され始めた。

 小松製作所では1952年にモーターグレーダーGDシリーズの生産を開始し、翌1953年にはフォークリフトとダンプトラックの生産を手掛けるようになる。1956年にはショベルローダーの量産も始まった。

中心車両となるブルドーザーも進化の足を止めない。1955年には自社開発のエンジンを搭載して内製化率をアップ。1960年には国産最大の「D250ブルドーザー」を開発し、同社の技術力の高さを業界に知らしめた。また同時期にはブルドーザーの汎用化を目指す新機種の開発にも積極的に取り組み、その一環として掘削機と積込機の機能を併せ持つドーザショベル「D50S」を発売している。

 このまま順調に発展するかに見えた日本の特殊車両産業。しかし、1961年の春に業界全体を震撼させる大きなニュースが飛び込む。世界最大の建設機械メーカーであるキャタピラー・トラクター社が日本に進出するという発表だった――。