ベレットMX1600(コンセプトカー) 【1969,1970】

シャープな造形。国産初ミッドシップスポーツ

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レーシングカー派生のミッドシップスポーツ

 1960年代後半のいすゞは、スポーティなクルマ作りで個性を主張していた。トラックやバスの商用車が主軸のいすゞに取って乗用車は、いわばセカンドライン。幅広いクラスに数多くの車種を用意するのではなく、いすゞの熱心なファンのために“こだわりのモデル”を供給しており、開発陣はライバルに対して“走りの楽しいこと”をセールスポイントにしていたからだ。主力モデルのベレットにしても117クーペにしても、その走りの深い味わいは、当時の日本車の水準を大きく抜いていた。多分、それは、経営陣を含め、いすゞのスタッフ全員がクルマ好きだったことの証明だったに違いない。

 1969年の東京モーターショーに、スポーティないすゞを象徴するコンセプトカーが出展された。「ベレットMX1600」である。MX1600は、レーシングプロトタイプのベレットR6をベースに開発されたミッドシップスポーツだった。当時、ランボルギーニ・ミウラ、ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ914など、市販スポーツカーにもしだいにミッドシップの波が押し寄せつつ合った。エンジンをドライバー後方に配置するミッドシップ方式は、スポーツカーにとって理想的な前後重量配分を実現し、運動性能を飛躍的に引き上げるレイアウトである。その優れたパフォーマンスはレーシングカーの世界で実証されていた。

 ベレットR6も、ミッドシップ方式を採用して高い戦闘力を発揮していた1台。MX1600は、その経験を生かした市販版ミッドシップスポーツの提案だった。ちなみに国産車で市販を前提にしたミッドシップスポーツを披露したのはMX1600が初だった。

スタイリングはカロッツェリア・ギアが担当

 MX1600のデザインを手掛けたのは、117クーペと同様にイタリアのカロッツェリア・ギアだった。実際に造形を担当したのはトム・ジャーダと言われている。スタイリングはシャープなラインで構成したウェッジフォルムで、見た目の美しさだけでなく、Cd値、揚力、横風安定性などの面でも優れていた。
 ヘッドライトはリトラクタブル式。フロントノーズには、速度に応じて上昇するスポイラーが装着されていた。ボディサイズは全長4100×全幅1650×1100mm。全高はトヨタ2000GTの1160mmと比べても圧倒的に低かった。

 エンジンはベレット1600GTRや、117クーペ(そしてR6)と共通の1.6ℓ直4DOHC。ショーではフルトランジスタイグニッションを搭載し、120ps以上の最高出力を発揮するとアナウンスされた。
 シャシーは鋼板箱形断面のサイドシルとバルクヘッドを主構造としたもので、これに4輪ダブルウィッシュボーン式のサスペンションを組み合わせていた。ラック&ピニオン式のステアリングとディスク式ブレーキはベレットと共通だった。
 室内はGT感覚の豪華な仕上げで、6連式のメーターとセンターコンソールがGT感覚を主張した。

真剣に市販化を検討。翌年進化版デビュー

 いすゞはMX1600を、単なるコンセプトカーではなく、市販を前提としたプロトタイプと位置づけていた。117クーペの量産化で得たノウハウを生かして少量生産のハイグレードGTスポーツとして、117クーペと並ぶいすゞのイメージリーダーにしようとしたのだ。
 だからこそ、ショー出品車は、実際に走行出来る状態に仕上げられていた。MX1600は複数台が生産され、ディーラー関係者などからのヒヤリングも行ったらしい。

 翌年の1970年のモーターショーには、各部をリファインした進化版のMX1600がデビューする。1970年モデルは、リトラクタブル式ヘッドランプを固定式に変更し、キャビン後方のエンジンを効果的に冷却出来るよう、各部のエアインテークを大型化するなどクーリング性能を徹底的に見直していた。フェンダーミラーやサイドマーカーレンズなども装備され、このまま市販出来るようなイメージにまで仕上げられていた。

 しかし、MX1600は残念なことに市販されずに終わった。すでにいすゞには117クーペという”宝物”があり、もう1台、少量生産のMX1600をラインアップに加えても販売現場の負担が増すだけ、と経営陣が判断したらしい。もし。MX1600が市販されていたら、国産初の市販ミッドシップスポーツという称号を得ただけでなく、その優れたパフォーマンスで日本のスポーツカー像を革新しただろう。MX1600は、いすゞの歴史に燦然と輝く幻の名品である。