ウィリス・ジープ 【1941~1986】

軍用から民間用へと変身を遂げた多目的4×4の代表

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アメリカ陸軍による小型軍用車両開発の要請

 4輪駆動の4輪車、“4×4”モデル群は、アメリカでは4WD、欧州ではAWD、そして日本では4駆=ヨンクなどと称されることが多い。一方、4×4モデルの代名詞として全世界で通じるのが“Jeep(ジープ)”タイプという表現だ。4輪駆動車の走破性と利便性の高さを早期に具現化し、世界中に4×4の優れた特性を知らしめたジープ。その始まりは、ドイツによるポーランド侵攻の翌年、そして日本の真珠湾攻撃の前年に当たる1940年にまでさかのぼる。

 第2次世界大戦においてアメリカ陸軍は、任務を遂行するうえで機動力の向上に重点を置く。刺激を受けたのはドイツ軍が活用したキューベルワーゲンだった。戦場を縦横無尽に駆け回り、兵士の移動や物資の輸送、そして偵察行動を迅速かつ効果的に行ったキューベルワーゲンのような軍用小型自動車を、アメリカでも開発しようとしたのだ。目的達成のために陸軍は小型偵察車両開発委員会を組織し、1940年6月には車重1300lb(約590kg。後に2160lb=約980kgに引き上げ)、4輪駆動、エンジン出力45hp、ホイールベース80インチ(約2030mm)以下、最低地上高6.25インチ(約160mm)以上という1/4トン軍用小型自動車の要求仕様を作成。制式軍用車両として採用するため自動車メーカーに入札への参加を呼びかける。入札条件として、入札後49日以内の試作車の製作、75日以内のテスト車両70台の納入といった項目も付記された。この入札案内および要求仕様書は、翌7月に135社の自動車製造関連メーカーに発送される。当初、入札に応じたのはアメリカン・バンタムとウィリス・オーバーランドの2社。しかし、入札条件をクリアすることは困難と判断したウィリス社が途中辞退し、最終的にバンタム社が軍用小型自動車の開発を手がけることとなった。

ウィリス・オーバーランド社による“ジープ”の開発

 バンタム社による試作車は1940年9月に完成し、期限ぎりぎりでホラバードの陸軍補給基地に納入される。その後は1カ月近くに渡って軍による過酷なテストが実施され、10月にはテスト結果を踏まえた改良型をバンダム社が製造する旨が決定した。一方、陸軍の本隊は弱小メーカーのバンタム社の生産能力に危惧を抱く。このままでは小型軍用車両の量産に支障を来すのではないか−−。この意を汲んだ委員会は、バンタム社の設計図をウィリス・オーバーランド社とフォード社に公開。3社が独自で2次試作車の開発を行うことを要請した。

 1940年11月になると3社の試作車、バンタム製プロトタイプ、ウィリス“クアッド”、フォード“ピグミー”の3モデルがホラバードの基地に揃う。後に行われた車両テストでは、ウィリス車の性能が2車を凌駕した。さらに陸軍はテスト結果を踏まえた改良版の試作モデル1500台の納入を3社に要請し、これに応える形でウィリスMA、バンタムBRC、フォードGPが製作され、さらなる試験走行が行われる。そして1941年6月、陸軍は最終決定を発表。その内容は、新しい1/4トン軍用小型自動車はウィリス車のボディおよびフレームとエンジンを基本とし、フロント部のデザインはフォード車を採用。さらに、フォードはウィリス車とパーツの互換性を持つ車両を製造する、といったものだった。ウィリス社に不測の事態が起こった場合にフォードがバックアップできるようにし、短期間で大量の軍用小型自動車を供給できる体制を構築する−−そうした意図が、最終決定には込められていた。

 翌7月には陸軍とウィリス・オーバーランド社が正式契約を結び、1942年からは最終決定を加味した改良版の「ウィリスMB」が軍に納入される。一方、軍の意向を受諾したフォード社も改良版の「フォードGPW」を製造し、軍に納めた。ちなみに、陸軍の正式車両からは外れてしまったバンタムBRCは、試作テストの際にソビエト軍にも供給され、後にバンタム車をベースとするソビエト産の軍用小型自動車へと発展していった。

Jeepの愛称はポパイがルーツ!?

 第2次世界大戦の実戦に投入されたウィリスMB/フォードGPWは、頑強かつ軽量なボディや信頼性がありメンテナンスも容易なエンジンなどによって高い走破性を発揮し、兵士や物資の輸送、偵察および連絡業務の足として大活躍する。こうなってくると、兵士のあいだで車両にニックネームがつくのは至極当然の成り行き。使われた愛称は、後に4×4モデルの代名詞となる“Jeep(ジープ)”だった。

 名前の由来には諸説ある。一般的に言われているのは、コミックの『ポパイ』に登場する“EUGENE THE JEEP(ユージーン・ザ・ジープ)”というキャラクターが次元の間をどこへでも行き来し、小さな奇跡をいくつも起こすことがMB/GPWの万能性に似ているのでジープとした説、この他フォードGPWのGP(General Purpose)の発音からジープになった、U.S.Army Pressの連載コミックに登場する兵士に忠実な愛犬の名前がJeepだったことから忠実に働くMB/GPWもジープと名づけられた、などがある。

戦後には民間用ジープのCJシリーズが登場

 第2次世界大戦の終結が近づく1944年になると、ウィリス・オーバーランド社は軍用車のMBの民間転用を企画する。軍の使用で培ったMBの高い走破性は、未舗装の一般道や荒地、林道、農業用地でも活用できると判断したのだ。また、MBの万能性は戦地のヨーロッパなどでもすでに広く知られていた。民間用のジープを製造すれば、絶対に市場で受け入れられる−−そんな確信のもと、ウィリスの技術陣はMBをベースとする民間用のCJ(Civilian Jeep)の開発に勤しんだ。

 CJは基本コンポーネントをMBから流用する。フレームはコの字断面のラダータイプで、牽引性を考慮してトラス組みファイナルクロスメンバーを設定。サスペンションには縦置きの前後リーフスプリングを採用し、車軸形式はフロントが全浮動軸管式、リアが半浮動軸管式とした。エンジンは“ゴー・デビル”と称するLヘッドの2199cc直列4気筒SVを搭載し、ボルグワーナー製T90の3速MTと組み合わせる。駆動機構には2WD(FR)と4WDの切り替えが可能なパートタイム4×4システムを採用。4WDでは高/低2速を設定した。

 プロトタイプのCJ-1や“Agri Jeeps”と呼ばれるCJ-2の製作を経て、ウィリス・オーバーランド社は1945年に最初の本格的な民間用ジープとなるCJ-2Aをリリースする。テールゲートや電動式フロントワイパーなどのアイテムを装備して実用性を高めたCJ-2Aは、リーズナブルな価格設定(1090ドル〜)なども相まって、市場で高い人気を獲得した。

市場の要請に即したラインアップの拡大と企業の変遷

 1946年になると、オールスチール製のボディを架装したステーションワゴンが登場する。最大で7人が乗車でき、しかも耐候性や利便性が引き上がったワゴンモデルは、とくに積雪地帯などで好評を博した。さらに同年には、商用ユースのパネルバンを発売。翌1947年になるとボディ後部を荷台に変えたピックアップトラックを、1948年にはスポーツ仕様のジープスターをリリースする。1949年には、より洗練度を増したCJ-3Aを市場に放った。

 ウィリス・オーバーランド社は1950年になると、ブランドの確立を目的にJeepの名称の商標登録をアメリカおよび海外において実施する。また、縦スリットグリルの意匠の著作権も獲得した。世界的に浸透しつつあったジープのネーミングとフロントマスクを、独占して手中に収めたウィリス・オーバーランド社。しかし、1953年になると同社に転機が訪れる。資本力で上回るアメリカのカイザー・モータース社が、ウィリス・オーバーランド社の買収に乗り出したのだ。この買収は成立し、ウィリス・オーバーランド社はウィリス・モータース社として傘下企業に収まる。さらに1963年には、カイザー・モータース社自体が社名をカイザー・ジープ社に変更した。ジープの製造メーカーの変遷はまだまだ続く。1970年にはアメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)がカイザー・インダストリーズからカイザー・ジープ社を買収。1987年になるとAMC自体がクライスラー社に吸収されることとなる。さらに、そのクライスラーも1998年にダイムラー・ベンツ社と合併してダイムラー・クライスラー社に移行。2007年にはクライスラー部門が離れて持株会社のクライスラーLLCが設立され、2009年になると経営逼迫により連邦倒産法の適用を受けて全米自動車労働組合(UWA)やアメリカ政府、イタリアのフィアット社などの持株会社となった。以後、フィアット社が株式保有率を高めていき、クライスラー社を子会社化。そして2014年には、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)が誕生した。FCAは2020年にはプジョー・シトロエン・オートモビルズ(PSA)と経営統合を目指して合意している。

どこにでも行ける、なんでも出来るクルマの定番に

 会社の形態はめまぐるしく変わっていったものの、ジープ・ブランド自体は一貫して高いブランド力を持続。世界で最も信頼できるクルマとして全世界に知れ渡った。ラインアップも充実する。オリジナルのCJシリーズでは、1955年にCJ-5とCJ-6、1976年にCJ-7、1981年にCJ-8スクランブラーが登場。1987年になると、新世代のラングラー・シリーズに移行した。

 ピックアップトラックも発展を続け、1963年にグラディエイター、1971年にホンチョJ-10/20、1986年にコマンチをリリースする。スポーツ仕様では1966年にジープスター・コマンドを、1980年にジープ・イーグルを発売した。ワゴンタイプのSUVジープも数多く設定され、1962年にワゴニア、1966年にチェロキー、1984年にグランドワゴニア、1993年にグランドチェロキー、2006年にコンパスといった魅力的なモデルを市場に放った。

 “go-anywhere,do-anything(どこへでも行ける、何でも出来る)”を具現化するクルマとして、常に成長を続け、世界で愛されるジープ。そのDNAは、今後も進化しながら受け継がれていくに違いない。