マキシマ 【1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994】

世界標準を目指した3ナンバーサルーン

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1984年10月にU11型ブルーバードの
派生モデルとして、国内デビューとなったマキシマ。
その次世代モデルは、「真の高級」
そして「本当のゆとり」を目指して開発され、
国際的なスケールで作られた
3ナンバーサルーンとして誕生した。
海外マーケットを視野に

 日産マキシマは国内では、1984年にブルーバードの上級版として最初のモデルが登場している。マキシマ(Maxima)の名は、英語のマキシマム(Maximum=最上、最高の意)を基にした造語である。アッパーミドルクラスのセダンとして、マキシマが独立した車種となって登場した1988年ころは、日本製のクルマが大挙して海外へ輸出されるようになっていた時期であった。日本国内向けのサイズとして考えられていた、全幅1700mmとエンジン排気量2000ccまでの、いわゆる「5ナンバー」枠は事実上意味を持たなくなっていたのである。高効率な大量生産による徹底したコストダウンと高品質は、海外進出を拡大する日本車の大きな魅力であった。日本の自動車メーカーにとっては、ボディーサイズやエンジン排気量を国内向けと輸出用で全面的に区別して生産するなど当時はできない相談だった。

余裕を実現した3ナンバーサルーン

 マキシマは、同社の主力車種であった2.0リッター級のブルーバードの上級車種と位置付けされた。主にアメリカ市場を意識したデザインが採用され、ボディーサイズは全長4765mm、全幅1760mm、ホイールベース2650mmと「5ナンバー枠」を超えていた。また、ボディーバリエーションは、3ボックスの4ドアセダンだけとなる。スタイリングもとりわけ個性的なものではなく、必要十分な室内の広さを重視したきわめて一般的なものだった。アメリカ市場で売られるこのクラスは、趣味性などよりも実用性とコストパフォーマンスの高さが重要視され、他のボディースタイルは必要ないと判断されたのだ。見事な割り切りであった。

広い室内。V6ユニット搭載のFFレイアウト

 搭載されるエンジンは最高出力160ps/5200rpmを発揮するV型6気筒SOHCの排気量2960ccのユニットで、当時アメリカ車が主流としていたV型6気筒エンジンによる前輪駆動方式を抜かりなく採用していた。おそらく、目隠しをされてこのマキシマに乗っても、何処の国のクルマかは即座に判断できないに違いない。それほど、日本車としての個性は消し去られていたのである。本来なら、輸出専用モデルとなるのだろうが、当然ながら右ハンドル仕様が国内向けに販売された。
 
 国内向けとしては標準仕様の「タイプI」と豪華装備を特徴とする「タイプII」の2車種があった。上級モデルの「タイプII」には、DUET-SS(スーパーソニックサスペンション+車速感応式電子制御パワーステの総合制御)など最新のシステムが盛り込まれていた。アメリカをはじめとする輸出向けのモデルでは、複雑かつ精緻なシステムは、当地でのメインテナンスが事実上難しく、また、耐久性の点から装着はされなかった。これだけのサイズと性能を持ちながら、日本国内での販売価格は、300万円前後の価格帯であり、十分にリーズナブルなものとされていた。実用性を最優先に選ぶクルマとしては、なかなか魅力的な存在ではあった。  しかし、マキシマが主張したアメリカ的な合理性は、特にこのクラスでは日本の市場では受け入れられることはなかった。もはや、クルマが価格のみで判断されることはなくなっていたのである。その後、国内向けは、フルモデルチェンジを受けることなく1994年に生産を終了した。ただしその大らかなキャラクターは2代目セフィーロ、そしてティアナに継承されている。

COLUMN
マイチェンでDOHCユニット搭載
 デビューから約3年が経過した1991年8月、マキシマはマイナーチェンジを受ける。安全装備の充実や内外観の手直しも実施した改良だが、注目の変更ポイントはエンジンの換装である。新たに搭載したパワーユニットは、VE30DE型。排気量はそのままの2960ccながら、DOHC化され、型式もVGからVEとなった。DOHC24バルブのメカをはじめ、ADポート、そして、NVCS(可変バルブタイミングコントロール)を採用したこのV型6気筒ユニットは、最高出力195ps/5600rpm、最大トルク26.6kg-m/4000rpmを発揮。デビュー時のVG30E型ユニットに比較して、実に35ps、1.3kg-mのパワーアップを果たした。