ff-1・1300G 【1970,1971,1972】

排気量の拡大と各部の上級化を図った走りのFF

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“マイカー”の高性能化と上級化

 ダットサン・サニーやトヨタ・カローラが登場し、後に“マイカー元年”といわれる1966年に、富士重工業は新しい小型自動車の「スバル1000」を市場に放つ。FF(フロントエンジン・フロントドライブ)機構を筆頭に最新技術をふんだんに盛り込んだスバル1000。しかし、販売成績はカローラやサニーに大きく遅れをとった。ライバル車に比べてスタイリングが質素で、内装の高級感にも欠ける。さらに2ドアセダンとバンしかない車種展開も、ユーザー志向の多様化に適合しきれていなかったのだ。

 この状況に対して富士重工業は、スバル1000を大幅に改良してより高級に仕上げるという戦略に打って出る。開発陣はまずEA52型エンジンに手をつけ、ボア径を4mmほど広げて排気量を1088ccとしたEA61型を開発する。最高出力は7psアップの62psを達成。さらに、スポーツ系のEA61S型では77psを絞り出した。エンジンの高性能化に合わせて、内外装のグレードアップも実施する。エクステリアは存在感を高めた台形フロントグリルを筆頭に、新デザインのリアガーニッシュグリルやコンビネーションランプなどを装備。インテリアは上級化した新造形のインパネや大型ヘッドレストを組み込んだフロントシート等を装着した。

 1969年2月、富士重工業は満を持してスバル1000のビッグマイナーチェンジ版を発表する。車名は「ff-1」に変更。カローラやサニーとは異なるFFの先進機構を採用する事実を、ネーミングでダイレクトに表した。ff-1は同年3月から販売に移され、その月は4000台オーバーの登録台数を記録する。さらに10月には4ドアボディのスーパーツーリングを追加し、車種選択の拡充を図った。

エンジン排気量を1267ccへと拡大

 デビュー当初は好調な販売を記録したff-1。しかしそれも束の間、ライバルのカローラやサニーがモデルチェンジして魅力度を高め、さらに本田技研工業から1300、東洋工業からファミリア・プレストがリリースされると、その人気は次第に落ち込んでいく。富士重工業はテコ入れ策として、再度のビッグマイナーチェンジを計画した。

 大改良に際し、開発陣は再び排気量の拡大と内外装の上級化を実施する。エンジンはEA61型のボア径を6mm広げて1267ccとしたEA62型を開発。この時点でボア×ストロークは82.0×60.0mmの超オーバースクエアとなった。最高出力はシングルキャブ仕様で80ps、ツインキャブ仕様(EA62S型)で93psを発生する。組み合わせるトランスミッションはフルシンクロの4速MTで、クラッチには高速タイプのダイヤフラムクラッチをセット。また、リアの懸架機構は従来のトレーリングアームからアームに後退角を付けたセミトレーリングアームに変更し、走行安定性をいっそう向上させた。

 エクステリアではヘッドライトとグリルをより強調したフロントマスクや後退灯を別体化したリアコンビネーションランプなどを採用。インテリアではクラッシュパッド一体成型のインパネに新形状のシート等を装備して高級感と安全性を高めた。
 新しいff-1は、「1300G」というサブネームを付けて1970年6月に発表される(発売は同年7月)。車名のGはGorgeous(華やか、贅沢)を意味していた。車種展開はセダン系とスポーツ系で大別し、セダン系がGL(2ドア、4ドア)/カスタム(4ドア)/デラックス(2ドア、4ドア)/スタンダード(2ドア)を、スポーツ系がスーパーツーリング(4ドア)/スポーツセダン(2ドア)をラインアップする。廉価版として従来の1.1Lエンジン仕様も残り、1100シリーズとして販売した。

ラリーの舞台でも大活躍した1300G

 高性能化を果たしたff-1・1300Gは、ラリーの舞台で積極的に活用される。1970年9月開催の第12回日本アルペンラリーではff-1・1300Gがクラス優勝を達成。翌1971年9月開催の第13回日本アルペンラリーでもクラス優勝を獲得し、見事に2連覇を成し遂げる。また、中部および四国500kmラリーといった地方イベントなどでも数多くの勝利を飾った。

 スペック的には競合車に匹敵する性能を実現したff-1・1300G。しかし、販売成績は期待した通りには伸びなかった。高級さの面ではカローラやサニー、スポーツ性能ではホンダ1300という強力なライバルが、ff-1・1300Gの前に立ちはだかったのだ。社内で考える上級化や高性能化だけでは、もはや販売台数は伸ばせない。トヨタなどのように、もっとユーザー調査を行うべきだ−−。反省を踏まえて導き出したこの結論は、ff-1・1300Gの実質的な後継モデルとなるレオーネ・シリーズで具現化されることとなった。

スバルの“4WD”ヒストリーはff-1・1300Gから始まった

 1960年代の東北電力では、冬季の送電線点検作業のためにジープタイプの4WD車を活用していた。しかし、乗り心地の粗さや暖房効率の悪さ、さらに維持コストの高さなどに、現場では頭を悩ます。打開策として東北電力は、地元ディーラーである宮城スバルに、スバル車のバンをベースに4WD化できないかを相談した。宮城スバルでは、当時業務提携していた日産からFRのブルーバードのデフ&ドライブシャフトを購入し、苦心しながらスバル1000バンに組みつける。東北電力にも協力を仰ぎ、試走行を繰り返した。

 満足のできる試作モデルが完成したのは、1971年2月になってから。翌3月には、その試作モデルが富士重工業の群馬製作所に持ち込まれる。同所では早速4WD車チームを発足し、開発を本格化させた。そして1971年10月開催の東京モーターショーにおいて、参考出品車の「スバルff-1・1300G・4WDバン」を披露。このときに20台あまりを製作し、東北電力などに納入した。その後も富士重工業の開発陣は、鋭意4WD機構の改良を重ねる。そしてショーデビューから11カ月ほどが経過した1972年9月、ついに量産版の「スバル・レオーネ4WDエステートバン」を発売したのである。