R2SS 【1970,1971,1972,1973】
“ハード・ミニ”を標榜した第2世代の高性能版
てんとう虫ことスバル360の大ヒットで軽自動車界を牽引していた1960年代前半までの富士重工業(現SUBARU)。しかし、1960年代後半に入るとその勢いに陰りが見え始める。本田技研のN360や鈴木自工のフロンテ、ダイハツ工業のフェローといった競合車が台頭してきたからだ。
現状のままでは軽自動車カテゴリーでのシェアを落とす一方になる——。打開策として富士重工業は、65Dという呼称の新軽自動車開発プロジェクトを立ち上げる。基本メカニズムはスバル360用をベースとし、そのうえで徹底した改良を行うことを決定。外装はフラッシュサーフェス化した最新の2BOXモノコックスタイルに切り替えた。内装のデザインや装備に関しても鋭意近代化を図る。搭載エンジンについてはシリンダーにアルミ合金を用いた2サイクルの356cc空冷2気筒(EK33型。30ps/3.7kg・m)を採用するとともに、混合気の吹き返しを防ぐリードバルブも設定した。
1969年7月、富士重工は新世代軽自動車のスバルR-2を発表する(発売は翌8月)。車名はリアエンジン車の第2世代を意味。車種展開はスタンダード/デラックス/スーパーデラックスの3グレードを用意した。内外装の近代化および上級化が図られ、エンジンパワーも引き上がったR-2は、発表と同時に注文が殺到。一時は生産が追いつかないほどの状況となった。
R-2の好調なスタートダッシュを横目に、開発現場ではスポーツモデルの開発が着々と進行していた。当時の自動車市場は高速道路網の伸長や一般道の舗装化の進展に伴い、軽自動車でも高性能モデルの設定が求められていたのだ。
高性能版R-2の心臓部となるエンジンについては、既存のEK33型をベースに緻密なチューンアップを実施する。シリンダーはハードクロームメッキのアルミ合金で仕立て、ピストンリングにはガスシール性に優れる特殊タイプを採用。燃料供給装置にはソレックスタイプの36PHHツインバレルキャブレターをセットし、圧縮比は7.5にまで高めた。また、排気系には専用の高速型ディフューザーマフラーとマニホールドを組み付ける。得られたパワー&トルクは36ps/7000rpm、3.8kg・m/6400rpmに達した。組み合わせるトランスミッションは専用ギア比のフルシンクロ4速MT。クラッチには低速から高速まで、軽くて一定した踏力が得られる乾燥単板ダイヤフラム式を導入した。
シャシー面に関しては、既存仕様の前後セミトレーリングアーム式サスペンションをベースに、強化型のトーションバースプリングやオイルダンパー、フロントスタビライザー(トーションバー式)などを装備する。組み合わせるタイヤは135SR10サイズのラジアルで、最低地上高は160mmにまで引き下げた。懸架機構とコンビを組む操舵機構については、減速比を16.2に設定したラック&ピニオン式を採用する。また、ドライバーが直接触れるステアリングには、2本スポークの小径タイプを装着した。
開発陣は内外装の演出にも徹底してこだわる。エクステリアでは砲弾型フェンダーミラーやノーズフィン、フォグランプ、フロントウィンドウ部分強化ガラスなどを採用。ブラックカラーのインテリアでは丸形3連メーター(トリップメーター組み込み速度計/回転計/燃料計&水温計&オイル計)やヒール&トゥ・アクセルペダル、バケットタイプ・フロントシート(8段階140mmスライドおよび4段フルリクライニング機構、セーフティピロー、2点式セーフティベルト付き)などを装備した。
渾身のR-2スポーツバージョンは、「SS」のグレード名を付けて1970年4月に発売される。キャッチフレーズは“ハード・ミニ”。固めた足回りにラジアルタイヤ、ハイパワーでねばり強いエンジンなどを採用した硬派な走りの軽自動車であることを、端的に表していた。ボディカラーはイタリアンレッド/サンビームイエロー/アドニスホワイトという精悍な3タイプを設定。“R-パック”と称したオプションとして、艶消しブラック塗装のフロントフードやレザートップなども用意した。
市場に放たれたR-2SSは、最高速度120km/hに0→400加速19.9秒というハイスペックや扱いやすいエンジン特性、優れたロードホールディング性能、切れ味のいいハンドリングなどが走り好きから注目を集める。てんとう虫ゆずりの高い耐久性も好評を博した。