ミゼット 【1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972】

昭和の日本を支えた小さな大物



ライバルはリヤカー!ターゲットは零細商店

 超小型三輪トラック、ミゼットの開発準備は1952年秋にスタートした。ダイハツが軽自動車規格の3輪トラックに目をつけたのは、庶民の物流事情の改善のためだったという。当時、日本には授業員2名以下の零細商店が200万軒以上存在した。彼らは八百屋や鮮魚店などを営み庶民の生活を支えていた。配達や御用聞きに使用していたのはリヤカー付きの自転車か小型バイクである。だがリヤカーは多大な労力を必要としたし、バイクでは重い物や大きな荷物は運べなかった。しかもバイクで荷物を運ぶことは安全上でも問題があった(実際、過積載のバイクの事故が社会問題化していた)。

 彼らにとって便利な小型3輪トラックを作れば多くのニーズがあり、しかも庶民の生活レベル向上にも貢献できるとダイハツは考えたのだ。慎重にコンセプトを固めた後、1954年から試作をスタートし、第三次試作の改良版でやっと市販にこぎつけた。生産先行試作車が完成したのは1957年3月。ダイハツ工業創立50周年記念行事ではじめて一般に公開し、同年12月に万を持して正式販売がスタートした。

キャッチコピーは“街のヘリコプター”

 ブランニューモデルとして企画されたミゼットは、手軽に乗れて、小回りが利き、しかもランニングコストも低いという、小型商用車としての原点に立ち返ってデザインされていた。どちらかと言えば、3輪スクーターと言うべき種類のモデルだが、シャシーフレームやエンジン、ボディなどに至るまで全てが新しく設計されたものであった。1957年8月に発売されたDKA型では、雨風を避けるフロント・ウィンドウとレッグシールド、ドライバーの頭上のみに付けられたキャンバス製ルーフ、バーハンドルに跨座式(またがって乗る)シート、その前方に位置するシフトレバーという変わったスタイルで、未だドアは付けられていなかった。

 荷室は長さ1.2m、幅1.0m、深さ0.4mほどで、後部に上下開きのアオリを備えていた。積載量は300kgで、リヤカーよりははるかに多くの荷物が積めた。搭載されたエンジンは、空冷単気筒2ストローク、排気量249ccで10ps/4500rpmの最高出力と2.0kg・m/3000rpmの最大トルクを発揮した.
タイヤは9インチ・サイズのスクーター用だが、フロントブレーキは装備されない。「街のヘリコプター」のキャッチ・ピーと共に、ミゼットは黎明期のTV番組でも盛んに宣伝され、特に人気コメディアンの大村昆と佐々十郎が出演したコマーシャルは大きな人気を呼び、「ミゼット」はこの種の超小型3輪トラックの一般名称として定着するまでになった。

アメリカがもたらした発展

 シンプルさが身上であったDKA型ミゼットだったが、多くの小型車がそうであるように、年を経るに従ってデラックス化の道を辿ることになる。1959年にバリェーションに加えられたDSA型では、ボディカラーがライトグリーンとなり、ビニール引きキャンバス製の荷室幌が装備された。

 そして、1959年10月に登場したのが2灯式ヘッドライトに左右ドアを備えた密閉型キャビン、丸ハンドル、並列2座席の豪華版MP2型である。MP2型はなんとアメリカの要望に添った国際車だった。バーハンドルのDKA型は多数がすでに東南アジアへ輸出され、高い評価を受けていたが、新たにアメリカからの輸出オファーを受け、メカニズムはDKA型のままにエンジンの排気量を拡大し、ドアや丸ハンドル仕様に変えたモデル(MPA型)を造り上げたのだ。

 同じころ、ライバルのマツダが丸ハンドルに密閉型キャビンを備えたK360をデビューさせていた。その影響でダイハツは急遽輸出用に設計したMPA型を国内向けに改修し発売した。エンジンは空冷単気筒2ストロークのまま排気量を305ccに拡大し、出力を12ps/4500rpm、トルクを2.4kg・m/2500rpmに強化している。また、フロント・サスペンションに油圧ダンパーを仕込んだテレスコピック形式を採用して乗り心地の向上を図った。最大積載量は300kgである。

総生産台数は31万6891台!

 1961年には全長を200mmほど延長して荷台も拡大したMP4型が登場する。MP4型の最大積載量は350kgに増加した。さらに1962年にはボンネットが大きく変わったMP5型を発売。さらに1963年4月にはメンテナンス性を向上させたオイルマチック(それまでは混合ガソリン)仕様が登場する。オイルマチックに進化したMP5型でミゼットはほぼ完成の域に達し、しばらくはこのままの仕様で販売を続けた。

 動きがあったのは1969年で、8月より最終型となったMP5後期をリリースする。MP5後期型は安全性向上のためサイドマーカーやウインカーレンズが大型化され、ヘッドレストやシートベルトも装備された。しかし、この時期になると軽自動車の4輪トラックが人気を集めており、価格の安さが魅力だった超小型3輪トラックはその市場を急速に失いつつあった。ミゼットのライバルだったマツダK360が1969年に生産を中止、ミゼットも1971年12月にデビュー以来の生産台数31万6891台を以て生産を中止した。しかし1972年に国内4台、海外1台の販売記録が残っている。

映画でも名脇役!? 昭和イメージの代表車

 ミゼットは映画でも大活躍している。キュートなスタイリングと、昭和を感じさせるほのぼのとした風情が映画製作者の琴線に触れるようだ。最初に名脇役として注目された映画は、桑田佳祐氏が監督の『稲村ジェーン』。湘南の地で伝説の波を待っているサーファーの愛車として起用され、ロングボードを荷台に載せた姿はパンフレットやポスターにも採用され人気を集めた。

 さらに『ALWAYS3丁目の夕日』では昭和30年代を象徴するモデルとして登場。仕事の足としてはもちろん、時には荷台にも人を乗せて乗用車的にも使う健気な働き者としてスクリーンを彩った。ミゼットはスバル360や、イタリアのフィアット500などと同様、その姿を見るだけで古きよき時代へとタイムスリップする魔力を秘めた存在なのである。