ファミリアAP 【1977,1978,1979,1980】

FR+HBボディーのベーシックカー

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1967年以来、生産を行ってきた2代目ファミリア。
ボディー拡大の大幅改良はあったものの、9年余りの長い期間、
ファミリアはフルチェンジを行わずに過ごした。
1977年、ついにその沈黙を破り、
新たなコンセプトを携えて生まれた新型は、
欧州車イメージ漂うHBモデルとして登場した。
悲願だった小型車市場へ本格進出

 1960年4月に発売された軽乗用車の「R360クーペ」で本格的な4輪車の分野へ進出した東洋工業(現・マツダ)は、1962年には軽自動車「キャロル360」のエンジンを拡大して小型車枠とした「キャロル600」を経て、1963年には最初に「ファミリア」の名を持つ小型ワゴンを「ファミリア・バン」として発売した。

三輪トラックで市場に独自のポジションを築いていたマツダだったが、本格的な小型セダンの分野への進出は全社的な悲願でもあった。しかし、小型乗用車の生産では後発となることで、それには大きな困難が立ちはだかることになった。

実用を重視しすぎた初代

「ファミリア・バン」におよそ1年遅れて登場した純乗用車の4ドアモデルは、フロント部分はバンとほぼ同じだったが、独立したトランクを持った3ボックスセダンであった。さらに1カ月後には、装備を可能な限り簡素化し、価格を軽自動車並みの41万5000円とした「ファミリア・スペシャル」を投入する。価格こそが、このクラスでは量販の切り札となるはずだったからである。

だが、ファミリアはメーカーが期待するほどの人気を集められなかった。価格が安価に過ぎたのである。1960年代前半の時代も、今日と同じように、単に価格の安さだけで車を買う時代ではなかったのである。1967年にはスタイリングを一新、最も安価なスペシャルシリーズは生産中止となった。ファミリアにはまったく異なる発想によるモデル開発が必要であった。

ハッチバックボディーで登場

 1977年1月に登場したニュー・ファミリアは、高級車であった「コスモ」のイメージを凝縮したスタイリングと3/5ドア・ハッチバックという、ファミリアの伝統になる使い勝手の良さを巧みに両立させたものとなっていた。全幅、ホイールベースは拡大、延長され、ひと回り大型化されて、高級感も大きく向上させている。駆動方式はコンベンショナルなフロントエンジン、リアドライブとなっていた。

 当時、1000ccから1300ccエンジンを装備する小型車の市場は、まさしく群雄割拠の時代であり、ダイハツ・シャレード、トヨタ・パブリカ・スターレット、日産チェリー、三菱ミラージュなどが覇を競っていた。こうしたライバルに対応するべく、新型ファミリアでは、デビュー当初は排気量1272ccの直列4気筒SOHCエンジンのみの設定だったが、1978年3月からエンジンの排気量を1415ccに拡大した、1400シリーズが加えられた。

安全性と環境性能を実現

 1400シリーズでは全車種、フロントブレーキがディスクブレーキ、および13インチタイヤが標準装備となった。また、シートベルトは自動巻き込み装置が付けられている。排気ガス規制は、EGRと三元触媒を併用することで、53年規制をクリアしていた。

 クラスとしては83万円から95万円前後の、リッターカー+αといったポジションにあった新型ファミリアではあったが、価格の手頃さに反して、スタイルの良さや装備の充実していること、さらに新しいエンジンによる高性能で、小さな高級車としての存在を明確にしていた。オリジナリティの高いスタイリングは、今日でもあまり古さを感じさせないものだ。隠れた名車と言えるだろう。

COLUMN
内外装のカラーを魅力的に仕立てた
3ドアと5ドアをラインアップして誕生したニュー・ファミリア。搭載エンジンは、従来型の1272cc直4ユニットを踏襲しての登場だった(のちに1400を追加)。デビュー時のボディカラーは7色。なかでもレッド、イエロー、グリーンといった、当時、欧州でも流行の「シグナルトーン」と呼ばれた鮮やかなカラーを用意し、注目を集めた。8機種のグレード展開のうち3ドアに設定のGFは、インテリアもカラフルで、赤、青、黄の鮮やかなカラーのチェック柄シート地を採用。開発コンセプトとして品質やユーティリティのほか、ファッション性も重視したニューモデルである点が納得できるカラー展開であった。