フローリアン 【1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982】

実用性とデザインを磨いたロングセラーサルーン

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プロトタイプそのままに市販モデル登場

 1966年の第13回東京モーターショーに、単に「いすゞ117」と言う名前で展示された4ドア・6ライト(サイドウィンドウが片側3個ずつあるのでこの名で呼ばれる)の6人乗りセダンがあったが、この展示車こそ「フローリアン」のプロトタイプだった。スタイリングは、当時のイタリアン・カロッツェリアのトップランクにあったカロッツェリア・ギアによるもので、ボディーサイズなどは、当時いすゞの主力車種である「いすゞ・ベレット」と大型乗用車である「いすゞ・ベレル」の中間に位置していた。展示車についての詳細は一切明らかにはされず、謎のモデルとして話題を集めた。そして、翌1967年11月に「いすゞ・フローリアン」として正式な販売が開始されたのだった。ちなみに、車名の「フローリアン(Florian)」とは、オーストリア皇帝の同名の愛馬から採ったもので、抜群の資質を象徴するものだった。

 市販型の「フローリアン」は、細部を除いてほぼプロトタイプそのままだった。変えられたのは、フロントラジエターグリルがプレス製となり、ヘッドライト変形角型2灯型とされた程度。同年代のイタリア車、ランチア・フルヴィア・セダンに似たテールライトは、視認性を高めるために大型化されていた。全体のスタイリングはカロッツェリア・ギアのオリジナルデザインを上手く生かしていた。この当時、国産車では4ドアセダンで6ライトのウィンドウアレンジメントを持つものは少なく、きわめて特徴的なものとなっていた。

楕円をモチーフにしたインパネ

 インテリアもスタイリング同様に個性的なデザインで、インスツルメンツパネルは楕円を基調としていた。速度計や燃料計や水温計などを含んだコンビネーションメーターも楕円形となっていた。センターコンソールは省かれ、中央部分のセンタートンネルは小さく、前シート左右間の移動は比較的楽に行うことができた。前席にはセパレートタイプとベンチタイプがあった。取り外し可能なヘッドレストを外し、シートバックをフルリクライニングすることで、後席の座面とほぼ水平に繋ぐことができたから、簡易ベッドに早変わりさせることもできた。2500mmと国産車中で最大級のホイールベースとともに、ゆったりとした室内空間を確保していた。

軽量ボディーで運動性能を磨く

 初期モデルに搭載されたエンジンは、国産車として初めて「GT」の名を冠した高性能車「いすゞ・ベレットGT」用をツインキャブレターからシングルキャブレターとし、圧縮比を下げるなどの変更を加えた水冷直列4気筒OHV、排気量1584ccのもので、最高出力84ps/5200rpm、最大トルク12.4kg-m/2600rpmを発揮していた。大柄なボディーの割りには940kgと軽い車重のため、性能的には十分以上で、最高速度150km/h、0→400m加速18.9秒を発揮した。下手なスポーツモデル顔負けの高性能である。モデルバリエーションは3車種だが、全てデラックス仕様の装備を持ち、3速コラムシフトの最も基本的なモデルである「1600デラックス」、4速フロアシフトに前席セパレートシートを装備した「オーナーズデラックス」、そしてボルグワーナー社製3速オートマチックトランスミッションを装備した「オートマチック」があり、価格は64万3000円から70万8000円までと十分に魅力的な価格設定となっていた。

実に15年以上もの長寿車に

 スタイルは、当時の目で見ても多少浮世離れした観もあった「いすゞ・フローリアン」だったが、同クラスのライバルに比べて断然広い室内空間や高い性能が評価されて、メーカーの予想を上回る人気を獲得することになった。しかし、タクシー向けや法人仕様を想定せず、純粋に自家用車向けとして設計されていたことは、スポーティー指向という時代の流れに沿って、更なる高性能化とデラックス化へ拍車をかけることにもなってしまう。

 デビュー後1年を経た1968年にクーラーを標準装備とした「スーパーデラックス」が加わり、1969年3月にはエンジンをツインキャブレターにし、出力を90psに向上させ、丸型4灯式ヘッドライトとして最高速度160km/hが可能なスポーツモデルの「フローリアンTS」がシリーズに加わった。同年9月にはスーパーデラックスとTSのエンジンを排気量はそのままにSOHCとして103psまでパワーアップする。さらに1970年10月には排気量を1817ccへと拡大、出力を115psに高めた。その後は、さすがにエンジンのパワーアップだけでは人気を維持することは難しくなり、1976年9月には51年排気ガス規制をクリアしたスーパーデラックス一車種に絞られる。1977年10月に最後のマイナーチェンジを受け、ディーゼル仕様を加えるなどで人気挽回を狙ったが果たせず、生産は中止された。