フェローMAXハードトップ 【1971,1972,1973,1974,1975】

軽自動車初のハードトップ

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新世代軽自動車の開発

 1960年代のモータリーゼーションの開花は日本を変えた。マイカーと呼ばれる自家用車の中心にはカローラやサニーのクラスが座り、従来の国民の足として活躍してきた軽自動車の需要が低くなっていたのである。この状況に対し、軽自動車の生産メーカーは自社モデルの大幅な方向転換を実施する。より見栄えがよくて快適性に優れ、しかもパワーのあるモデルを企画し始めたのだ。
 軽自動車の販売を屋台骨のひとつに据えているダイハツ工業は、1970年4月に主力車種のフェローをフルモデルチェンジする。「MAX」のサブネームを冠した2代目フェローは、従来のフロントエンジン&リアドライブからフロントエンジン&フロントドライブに改め、ボディ形状も3ボックスからオーソドックスな2ボックススタイルへと一新した。さらにエンジンは従来のZM型356cc・2サイクル2気筒から圧縮比を10.0まで高めた発展型のZM4型に換装する。

さらなる魅力を求めて--

 室内空間が広がり、走りの性能も向上したフェローMAX。しかし開発陣は、デビューから1年も経過していない1971年3月に大幅なマイナーチェンジを実施。エンジンは排気ポートを備えたZM8型に進化し、内外装もさらに高級化させた。
 5カ月後の1971年8月になると、高性能版の真打ちといえるモデルを追加する。軽自動車カテゴリーでは初のハードトップ仕様を設定した。
 当時の広報資料によると、軽自動車でハードトップボディを製作するのは非常に難しい作業だったという。三角窓とセンターピラーのないフルオープンウィンドウを支えるには、従来のボディは役不足。さらに、全閉時に大きなガラスを収める場所も確保できなかった。この状況に対して開発陣は試行錯誤を繰り返し、剛性の高いボディと広いガラス収納スペースを作り上げたのである。
 完成したハードトップは、従来のフェローMAXとは異なる雰囲気を醸し出した。ウエッジがきいたシャープなボディラインにオープンウィンドウの開放感、そして丸目4灯のアグレッシブなフロントマスクなどがスペシャルティ軽らしい個性を主張した。また最上級グレードのGXLに設定されたレザートップのホワイトルーフも、ハードトップの存在感を高めるのに一役かっていた。

スペシャルティ軽の衰退

 ハードトップをラインアップに加えて、軽自動車市場のシェア拡大を目指したダイハツ工業。フェローMAXの月販目標もセダンとハードトップともに1万台、計2万台の大きな数字を掲げた。
 しかし、この勢いを凌駕するようなライバルが出現する。本田技研が1971年5月に発表したライフである。ライフはファミリー層に向けて2ドアのほかに4ドアボディを設定。さらにオートマチックトランスミッションやOHCエンジンなどの先進機構も搭載していた。またハードトップ仕様に関しては、1970年10月にデビューしていたホンダZの人気を上回るまでには至らなかった。
 結果的にフェローMAXの月販目標は、1972年3月のマイナーチェンジ時点で各4000台ずつ削減される。さらに1970年代の中盤に差しかかると、軽自動車市場全体の低迷と排出ガス規制への対応が最重要課題となった。
 ダイハツ工業は1976年1月に軽自動車の規格が変更されたのを受けて、同年5月にフェローMAXのビッグマイナーチェンジを実施し、新開発のAB10型547cc・4ストロークエンジンを搭載するフェローMAX550に移行させる。この時、ハードトップ仕様はラインアップから外れた。