タイヤの歴史01/ヨコハマゴム01 【1917〜1973】

ラジアル時代を牽引した技術集団の歩み



タイヤの起源は4000年前!?

 タイヤの起源は古い。今から3000〜4000年も前のメソポタミア文明期にシュメール人が車輪を発見したことがスタートだ。最初は木製の車輪だったようだが、その後、車輪の表面(トレッド部分)に動物の皮を被せ、釘で固定して使用していたという。

 タイヤにゴムが使用されるようになるのは1800年代の半ば、コロンブスのゴム発見が契機となる。最初のゴム製タイヤは1967年に作られた。その後、1888年に英国の獣医師、ジョン・ボイド・ダンロップが息子の自転車用に空気入りのタイヤを実用化したことで現在のタイヤの基礎が確立。自動車の空気入りタイヤは、フランスのミシュランがパリ〜ボルドー間のレースに用い、好成績を収めたことで一般化した。1895年のことだ。

 ちなみに日本に最初の空気入りタイヤが輸入されたのは1893年。確かな記録はないが自転車用だったと思われる。明治期に入り、欧米の先進技術を急ピッチで吸収していた日本だけにタイヤについても技術導入は積極的だったと言える。

横浜で産声を上げたヨコハマ

 現在のブリヂストンとともに、日本のタイヤ黎明期を支えたメーカーがヨコハマゴムである。ヨコハマゴムの前身となった「横濱護謨製造株式会社」は1917年10月、横濱電線製造株式会社(現在の古河電気工業)と、米国BFグッドリッチ社の協同出資会社として横浜市に設立。1919年には横浜・平沼に平沼工場、1929年には横浜・鶴見に横浜工場を建設し活発な活動を始める。1937年にはタイヤ&工業品の商標を“ヨコハマ”に改称し現在の基礎を築いた。

 戦後もいち早く復興を遂げ、1950年には明治ゴム製造所より三島工場を買収。1951年には平塚総合工場、1959年には川崎工場を完成させ高品質な製品をリリースする。また台湾の企業にタイヤ技術を供与するなど海外パートナーとの連携も積極化させた。1959年といえば、自動車メーカー各社はオースチン、ルノー、ヒルマンなど海外メーカーとノックダウン提携を結び、乗用車作りのノウハウ吸収に躍起になっていた時代である。そんななか、海外メーカーに技術供与するヨコハマゴムの高い技術力は大いに話題になった。

ラジアル時代をリードしたGTスペシャル

 ヨコハマゴムが、乗用車タイヤの分野で独自路線を明確にするのは1960年代後半に入ってからだった。1967年にタイヤの骨格となるカーカスのコードを円周方向に対して直角に配置し、カーカスの上に伸び縮みしないオーバーヘッドを配置した先進のラジアル構造のGTスペシャルをリリース。タイヤの高性能化の先鞭を付けたのだ。ラジアル構造は、カーカスのコードが円周方向に対して30〜40度の角度を持っていた従来のバイアス構造に対し、画期的にハンドルレスポンスを向上させ、ロードホールディング能力を引き上げた。

 ラジアル構造は、パンクの減少にもプラスの効果があった。ちょうどクルマの高性能化が急ピッチで進行していたこともあり、GTスペシャルはマニアから熱い視線を集める。1971年には偏平率70%のGTスペシャル・スーパー70モデルもラインアップに加わり、ヨコハマタイヤの高性能イメージは一段と鮮明になった。ちなみに偏平率70%とは、タイヤの幅に対し高さが70%の意味で、偏平率の数字が少なくなるほどタイヤの幅は広くなる。当時の一般タイヤの偏平率は82%や78%だったから、70%は超ワイドタイヤを意味した。現在の55%や60%が一般的になり、偏平率30%も珍しくないご時世では考えられないほどのどかな時代だったのだ。

高性能を売り物とした新戦略

 ヨコハマゴムは高性能タイヤの開発をさらに加速する。1973年には一段と強靱さを増した構造材にスチール製ベルトを採用したGTスペシャル・スチールラジアル、トレッドパターンに精悍なブロック・デザインを採用したシリーズなどラインアップを一段と増強。ラリー用タイヤも設定しスポーツ派の要望に応えた。

 タイヤはクルマのパフォーマンスを足元で支える重要な機能パーツ。その高性能さをGTスペシャルというブランド名で鮮明にし、タイヤの成熟を牽引したヨコハマタイヤの歩みは業界トップメーカーであるブリヂストンとはひと味違った。このマニアックでスパイシーな姿勢が1978年の国産タイヤ初のスポーツブランド、ADVAN(アドバン)の登場を準備することになる。