ロードスター 【1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005】
“人馬一体”を追求した2代目傑作オープン
2代目ロードスターがデビューしたのは1998年1月。初代の発売後8年半が経過していた。モデルライフが長かったのは、言い換えれば、モデルチェンジの必要が無いほどに競合車種を持たないモデルであったということでもある。
2代目ロードスターは、名実ともに初代の進化版だった。エンジン、足回り、内外装のすべてが新しくなっていたが、それはすべて初代を下敷きとして熟成を図ったものだった。ボディサイズは旧モデルに比べて全幅が5mm拡がっただけであり、2265mmのホイールベースやその他のディメンションは変わっていない。車両重量は1010〜1060kgで、こちらも初代とほぼ等しいレベルに抑えられている。
特徴的なのは足回りのパーツや幌回りで、2代目の足回りのパーツは初代にも移植可能だった。移植すると2代目モデルと同等の剛性感の高い走りが入手できたのだ。幌も同様。2代目はリアウインドウが熱線入りのガラスとなったが、そっくり初代に装着可能だった。ロードスターは“人馬一体”を合い言葉に走りの楽しさを追求した正統派ライトウェイトスポーツである。その魅力は時代を超えて普遍。その本質をロードスターの開発エンジニアは熟知していた。本来の意味での進化を大切にしたクルマ、それが2代目ロードスターだった。
第二世代となったロードスターでは、1597ccと1869ccが用意されることになった。両エンジンともに先代と比較してファインチューンが施され若干のパワーアップが図られたが、それでもスペック的にはライバルより低めの数値だった。これはランニングコストの低下を狙って、あえてレギュラーガソリン仕様にこだわったことが一因だった。ロードスターにとって大切なのは数値ではなく、あくまで実質でありフィーリングなのである。マツダの開発陣はそのあたりを熟知していた。ともあれ2代目ロードスターの心臓は、吹き上がりやサウンドと言った感性面も含めて大幅にリファインされていた。純スポーツ向きの1597cc、ツーリング向きの1839ccというキャラクター分けはあったものの、どちらを選んでも痛快な走りが満喫できた。
グレードは6種に増え、多様化する使用目的にも十分対応できるようになった。バリェーションが増やされていることは、取りも直さずロードスターのユーザー層が確実に拡がっていることの証でもあった。ロードスターは一部のマニアのためのクルマと言うだけではなくなっていたのだ。
第二世代となって変更されたのは主として外観で、旧型では電気モーターによるリトラクタブルタイプの円形ヘッドライトだったが、ボディラインに溶け込んだ変形の固定型ヘッドライトとされた(これによって約5kgの軽量化を実現)。それ以外には、ボディ細部のデザインも変更されてはいるが、洗練がテーマでほとんどイメージは変わっていない。インテリアでは車種によってステアリングやシフトノブが変わり、インスツルメンツパネルのデザインや材質、シート形状なども時代の進化に則して変更されている。
トランスミッションは1597ccユニットが5速マニュアル、1839ccユニットには6速マニュアルが設定されるようになった。1597cc、1839ccユニットとも4速オートマチックが一部車種を除いて搭載可能となっている。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン/コイルスプリングにスタビライザーを備える。ブレーキは4輪ディスクでフロントはベンチレーテッド・タイプとなる。価格は1.6リッター・エンジンを搭載した最もベィシックなモデルの177万円から、1.8リッター・エンジンに革張り内装やウッド・ステアリングなどを組み合わせる244万3千円までとなっていた。日本製のライトウェイトスポーツとしてもなかなか魅力的な価格であった。
ロードスターは2000年5月に英国のMGBを抜き、「2人乗り小型オープンスポーツ生産累計世界一」のギネス記録を樹立した。1989年のデビュー以来高い人気を持続し、世界じゅうのマニアにオープンスポーツの素晴らしさを提供してきたロードスターの勲章のひとつだ。さらに2004年3月には生産累計70万台を突破し記録を更新、2007年1月には累計生産台数が80万台を超えギネスに記録更新の再申請を行った。ちなみに70万台目、80万台目の生産車はともに米国向けの輸出モデル。ロードスターがワールドカーであることを物語るエピソードだ。ロードスター以外にギネス記録として世界一と認められている日本車は「もっとも売れた自動車」部門のトヨタ・カローラと「世界で最も売れたハイブリッド車」部門のトヨタ・プリウスがある。