バラード 【1983,1984,1985,1986,1987】

シビックをベースにした軽快スポーツセダン

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軽快スポーツセダンの模索

 1960年代後半から1980年代初頭にかけて、本田技研はパッケージ効率に優れるフロントエンジン&フロントドライブ(FF)の車両レイアウトを自社のクルマに積極的に採用してきた。一方、ライバルメーカーたちも1980年代に入ってFFレイアウトを採用する小型車を相次いでリリースするようになり、結果的に日本の2Lクラス以下のモデルはFF車が主流を占める状況となった。

 これまでと同じ設計思想では、ホンダの独自性がアピールできない。新たなFF哲学を構築する必要がある。そう考えた本田技研のスタッフは、「M・M(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)思想」を根幹に、新しいFF車の姿を検討する。そして、エンジン&トランスミッションやサスペンションなどのメカニズムを限界までコンパクト化して従来以上に広い室内空間を創出し、そのうえでクルマのキャラクターに則した“走り”や“快適性”の味つけを加える、“FFニューエイジ”と称するニューモデルを完成させた。

セミリトラクタブル・ヘッドライトを採用

 FFニューエイジの第1弾となるクルマには、同社の中核モデルとなるシビック、さらにその兄弟車であるバラードが選ばれる。バラードに関しては、ボディタイプを4ドアセダンの一本(2+2ハッチバッククーペのバラード・スポーツCR-Xは別コンセプトで設計)に絞り、フラッシュサーフェス化やセミリトラクタブルヘッドライトの装着、スラントノーズ/ハイデッキ/ダックテールのエアロウエッジシェイプの採用などで空力特性に優れる(Cd値0.39)新感覚のセダンフォルムを実現した。

 M・M思想の成果となるキャビンスペースは、ロングホイールベース化やワイドトレッド化に加えて、成型ドアライニングや低トンネルフロア、カセット(一体成型)ルーフ、フラットロアインパネなどを採用して空間自体を徹底的に拡大。さらに、フルフラット機構付きのフロントシートとハイバックタイプのリアシートを組み込み、乗員の快適性を大幅に高めた。トランクルームについてはサスペンション張り出しの抑制やハイデッキ化の結果、クラス最大級の420L(VDA方式)を確保する。

 新設計のセダンボディに積み込まれるエンジンは、EW型1488cc直4OHC12V(PGM-FI版100ps/キャブレター版90ps)とEV型1342cc直4OHC12V(80ps)という12バルブ・クロスフローの3タイプが設定される。足回りはフロントがトーションバー・ストラット式、リアがトレーリングリンク式ビームの“スポルテック・サスペンション”で、バラードの性格に合わせて専用チューニングが施された。

“FFパフォーマーセダン”のデビュー

 2代目となるホンダの新しい上級コンパクトセダンは、メカニズムを共用する“ワンダー・シビック”と同時期の1983年9月に発表、翌月から市販に移される。グレード展開はEW型エンジンのPGM-FI版を積むCR-iを筆頭に、同エンジンのキャブレター版を採用するCR-M/CR-Mエクストラ、EV型エンジンを搭載するCR-L/CR-B/CR-Uの計6タイプを用意。シリーズ全体のキャッチフレーズには、“FFパフォーマーセダン”と冠した。

 シビック・セダンとは異なる凝った専用マスクと優れた空力ボディを採用し、パフォーマンス面でも操縦安定性の高さや軽快に吹き上がるエンジンなどが好評を博した2代目バラード。しかし、販売台数はデビュー当初を除いて苦戦を強いられた。当時の販売スタッフによると、「保守層にはシビック・セダンよりも高めの価格設定が、スポーツ派ドライバーにはバラード・スポーツCR-Xに比べて地味な印象だったことが、セダンのバラードの存在感を薄めてしまった」そうだ。

最後のバラード・セダンに−−

 2代目バラードの注目度を引き上げようと、開発陣は市場デビュー後も様々な改良を行っていく。
 1984年10月には油圧反力感知式パワーステアリング装着車のラインアップを拡大。翌1985年9月にはマイナーチェンジを実施し、固定式ヘッドライトの採用やリアコンビネーションランプ形状の変更、ロックアップ機構付きホンダマチック(AT)の4速化などを敢行する。同時に、スポーティ仕様のCR-Zグレードを追加設定した。

 工夫を凝らした改良を実施し続けた開発陣だったが、結果的に2代目バラードの販売台数は回復せず、1986年には生産を中止してしまう。後継を担ったのは、シビックよりワンクラス上の位置づけであるクイント・インテグラの4ドアセダン(1986年10月デビュー)だった。