ファミリア・ロータリークーペ 【1968,1969,1970,1971,1972】
2.0L級スポーツと同等の速さを誇った俊足RE
「ロータリゼーション」というスローガンの下でロータリーエンジンの普及を図っていた東洋工業(現マツダ)は安価で親しみやすいモデルの開発を開始する。それが、1967年10月の第14回東京モーターショーにプロトタイプ(量産試作車)として展示されたマツダRX85であった。RX85は、翌1968年7月から、ほぼプロトタイプそのままの市販モデルとしてデビューする。車名はマツダ・ファミリア・ロータリークーペとされた。
ファミリア・ロータリークーペは、当初レシプロエンジン搭載車として計画されていたファミリア1200クーペのシャシー・コンポーネンツを使い、各部を大幅に強化、ロータリーエンジンのハイパワーに対処していた。既存の量産車のコンポーネンツを流用してコストを引き下げるという、最も一般的な手法を採ったわけだが、それをあからさまに感じさせないところがロータリークーペの魅力であった。それは、一重にロータリーエンジンそのものの魅力に負う所が大きかった。
ファミリア・ロータリークーペに搭載されたエンジンは、ドイツのフェリックス・ヴァンケル博士が開発したヴァンケル・ロータリーエンジンの生産ライセンスを購入した東洋工業が、独自に改良を加えて完成した水冷2ローター・ロータリーエンジンで、基本的にはコスモスポーツに搭載されたものと同じである。10A型と呼ばれるマツダが独自に改良を加えたエンジンは単室排気量491ccであり、2ローター式のため総排気量は982ccとなる。吸排気はローター側面から行うサイドポート方式を採用している。
圧縮比は9.4、ストロンバーグ型2バレル・キャブレター一基を組み合わせ、100ps/7000rpmの最高出力と13.5kg・m/3500rpmの最大トルクを発揮した。性能的には2.0Lクラスのエンジンに匹敵する。ロータリーエンジンは、エンジン自体が軽量であること、一般的なレシプロエンジンのように往復運動するピストンがなく、回転するローターの動きがそのままパワーとして取り出せることなどで、エンジンの効率は極めて優れていた。また、構成部品も少なく、マツダ独自手法によるチャターマークの克服により耐久性にも問題は無かった。
この新しいエンジンを搭載したファミリア・ロータリークーペは、風洞実験を重ねて決定された空力的なスタイリングや805kgという軽量な車体にも助けられて、180km/hの最高速度と0→400m加速17.5秒という、当時のファミリーカーだけではなく、全量産車にジャンルを広げてもトップクラスの高性能を実現した。これで、価格が70万円と低く抑えられていたのだから、スポーツ走行を好むユーザーから大歓迎されたのは当然だった。たとえば、同等の性能を持つ日産スカイライン2000GTは2.0Lの直列6気筒SOHCエンジンを備え、価格は86万円だった。この価格帯での15万円以上の差は大きい。
当初からスポーティーカーとしてデザインされていたロータリークーペは、インテリアもスポーティーな雰囲気に溢れていた。T字型のインスツルメンツパネルは、中央部分からフロアシフトのレバー位置まで続くセンターコンソールを持ち、燃料計と油圧計、時計の3個の円形メーターをはじめ、ラジオ、シガーライター、灰皿などが備わる。ドライバー正面には、大径の速度計(左側)とエンジン回転計、最右端にはやはり円形のエアアウトレットが備わる。全てが円形をモチーフとしたもので、木目調の3本スポーク・ステアリングと共に、スポーティーさを強調していた。
ちなみに前述のようにファミリアと兄貴分のコスモスポーツはともに10A型ユニットを搭載していた。ただし同じ形式でもチューニングは別物だった。コスモスポーツの最高出力が110ps/7000rpm(後期型は128ps/7000rpm)だったのに対し、ファミリア・ロータリークーペは100ps/7000rpm。これは低速時の扱いやすさと経済性を重視した結果だった。2シーターモデルのコスモスポーツは純粋に速さを、ファミリア・ロータリークーペはオールラウンド性能を狙ったのである。ちなみに指定燃料はともにレギュラー。燃費は性能相応だったが、レギュラーガソリンでOKというのはユーザーにとって嬉しいポイントだった。
ファミリア・ロータリークーペを売り出した東洋工業では、ロータリーエンジンの耐久性を広く世界に宣伝するために、ヨーロッパの長距離耐久レースへの参戦を決定する。まず、1968年8月21日にドイツのニュルブルクリング・サーキットを舞台に開催されたマラソン・デ・ラ・ルートに、レース用に改造したコスモスポーツを2台送り込んだ。一台は日本人ドライバー2名が、もう一台は外国人ドライバー3名がドライブしたが、外国人のクルーが総合4位と健闘、ロータリーエンジンの耐久性と高性能を証明した。
1969年4月のシンガポールGPには、最高出力200psに特別にチューンアップしたファミリア・ロータリークーペが出場、見事総合優勝を果たす。さらに同年7月には、ベルギーのスパ・フランコルシャン・サーキットで行われた24時間レースに2台のロータリークーペが出場、総合5位、6位に入賞。また、翌8月のマラソン・デ・ラ・ルートでは、総合5位に入賞する。まさに、ロータリーエンジンはレースのためのエンジンだと言っても過言ではない大活躍を見せるのである。
余談だが、1971年12月12日に富士スピードウェイで開催された富士ツーリストトロフィー・レースで、それまで49連勝を挙げていた日産スカイラインGT-Rを破り、50連勝を阻止したのはロータリークーペの発展型であるサバンナRX-3であった。