スプリンター・トレノ 【1972,1973,1974】

圧倒的な速さ。トヨタ版「羊の皮を被った狼」

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セリカGTのエンジンを積んだトレノの衝撃

 1972年3月に、スプリンター系とカローラ系に、TE27型の車両型式で知られるスプリンター・トレノとカローラ・レビンというトップモデルが加えられた。両モデルは基本的には同一の車種であり、フロントグリル形状や内外装のアクセサリーやエンブレムが若干異なるのみだ。

 両車に搭載されるエンジンは、ひとクラス上に位置するセリカGT用の2T-G型水冷直列4気筒DOHC、排気量1588ccだった。スプリンターのベーシックエンジンは1166ccだから、排気量はおよそ1.3倍となる。最高出力は68ps/6000rpmから115ps/6400rpmへと1.6倍となっていた。ボディスタイリングには大きな変更は加えられていないから、まさに「羊の皮を着た狼」である。ちなみに、車名のトレノ(Trueno)とは、スペイン語で雷鳴の意味であり、一方のカローラ・レビン(Levin)は英語で稲妻を意味している。双子車と言うことから車名まで同じ意味のものにしていた。

加速の鋭さはスカイラインGT-Rに匹敵!

 115psの強力なDOHCユニットを搭載したトレノのパフォーマンスは鮮烈だった。メーカー公表の0→400m加速データは16.3秒。この数字は掛け値のないもので、自動車専門誌のテストでは16.1秒をマークした。加速の鋭さは当時最速と言われたスカイラインGT-Rと同等。GT-Rはエンジン調整がシビアで、コンディションを崩しているモデルも多かった。それに引き換えトレノのエンジンはほぼメンテナンスフリー。どんな状況でも安定した速さを発揮した。トレノはサバンナなどのロータリー勢とともに、実質的には国産最速のスポーツモデルだった。

精悍な内外装。オーバーフェンダー標準!

 トレノは、基本的なボディやサスペンションを標準型のスプリンター・クーペと共用している。外観上の違いは、前後フェンダーのホイールアーチに付けられたFRP製のオーバーフェンダーとフロントフェンダー上に付けられた砲弾型バックミラー、一部艶消しブラックに塗られたフロントグリルなどである。これだけで、外観は精悍さを増してスポーティーな雰囲気を高めていた。

インテリアも大きくは変更されていないが、センター・コンソール上部に電流計、油圧計、油温計の小径メーターを標準装備。シートは通気口を持つスポーツ型ハイバックシートとなり、ステアリングは3本アルミスポークを持つスポーティータイプとされた。フロアシフトのシフトノブは革巻きとなっている。ラジオや時計はオプション。内装はシートやインスツルメンツパネルを含めて黒で統一された。

DOHC115psと軽量865kgボディの出会い

 エンジンは、1970年12月に発売され、日本初の本格的なスペシャルティカーとして高い人気を博していたセリカGTに搭載される排気量1588ccの2T-G型水冷直列4気筒DOHCで、圧縮比9.8とソレックス型のサイドドラフト・キャブレター2基を装備して、115ps/6400rpmの最高出力と14.5kg・m/5200rpmの最大トルクを得ている。この2T-G型DOHCエンジンの開発は、ヤマハ発動機が担当していた。トランスミッションは5速マニュアル型のみ。駆動方式はフロントエンジン(縦置き)、リアドライブである。

 サスペンションは、前がマクファーソンストラット/コイル・スプリング、後が半楕円リーフスプリングで吊ったリジッドとなる。ただし、前サスペンションには高性能化に対応してスタビライザーバーが装備される。ブレーキは前がディスク、後がドラムでサーボ機構を持つ。タイヤは175/70HR13サイズのラジアルタイヤが標準装備。リミテッド・スリップ・デファレンシャル機構(LSD)はオプション設定となる。燃料タンク容量は45リッターで標準型と変わらない。車重は865kgと軽量。パワーウエイトレシオは僅か7.52kg/psに過ぎない。

モータースポーツで戦闘力を実証

 トレノ(そしてレビン)はモータースポーツで猛威を振るう。セリカGTより軽量で、しかもホイールベースが短い事実は、速さと操縦性の両面でプラスをもたらした。1975年5月に開催された日本グランプリのTS-aレースでは兄貴分のセリカGTに次いで3位でフィニッシュ。雨の悪条件下で行われた1972年10月の富士1000kmレースでは見事に総合優勝を飾る。富士1000kmの総合優勝は当時ツーリングカーレースで最速を誇ったマツダRX-3やスカイラインGT-Rなどを下しての勝利。トレノの高いポテンシャルを証明するものだった。

 国内ラリーでも無敵だった。トレノがデビューするまで三菱ギャランが常勝マシンだったが、トレノの高い戦闘力はギャランを上回った。連戦連勝を重ねデビュー間もなくトレノは“ラリーキング”の名をほしいままにする。海外でも事情は同様だった。トヨタはヨーロッパのラリーにワークス参戦(マシンはトレノと同型のレビン)し、1974年の英国RACラリーでは総合4位に入賞。翌1975年のフィンランド1000湖ラリーでは総合優勝を飾る。氷上で争われたスイス・シャモニー24時間でも総合優勝した。ちなみに1000湖ラリーの優勝は、日本車のWRC(世界ラリー選手権)、ヨーロッパラウンドでの初勝利だった。