チェイサー 【1988,1989,1990,1991,1992】

快適さを追求したハイグレードな“追撃者”

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空前のバルブ景気を背景にデビューした4代目

 追撃者とかハンターなどの意味を持つ「チェイサー(Chaser)」という名のアッパーミドルクラスのセダンが登場したのは、1977年6月にマークIIの姉妹車としてだった。エンジンやサスペンションなど基本的にはマークIIと同じモデルだが、内外装のディテールをわずかに変更し、異なるイメージを持たせたモデルだ。いわゆる同一車種のエンブレムのみを変更して異なるブランドで販売するバッジエンジニアリングに近いものだが、内容的にはもう一歩踏み込んだ形となっている。

 チェイサーは、主として販売チャンネルの多様化により生み出されたものだった。当時は未だ、もう一つの姉妹車であるクレスタ(Cresta=スペイン語で頂点の意味)は登場しておらず、マークII3兄弟のラインアップが完成するのは1980年になってからであった。初代のX30系から出発して、1980年のX60 系、さらに1984年のX70系を経て、チェイサーは1988年に第4世代へと発展する。日本社会はバブル景気の最中にあった。

フレッシュな若々しさがチェイサーの魅力

 1980年代末、トヨタはディーラーの系列としてトヨタ店系、トヨペット店系、トヨタオート店系、さらにカローラ店系、ビスタ店系などを擁していた。旧くからのディーラー系列を維持しながら、販売網を拡大するにはディーラー系列の多様化は自然の成り行きといえるものだった。当然、各販売系列独自のモデルが求められることになる。こうして生まれたトヨタオート店系列(現ネッツ店)独自のモデルがチェイサーであり、チェイサーがマークIIより全体的にフレッシュなムードに溢れていたのは、販売店のキャラクターを反映したものだった。

 チェイサーはマークIIやクレスタと内容的には等しいモデルであった。デビュー当初3兄弟車用に用意されたエンジンはディーゼル仕様を含めて実に7種に達しているが、チェイサーにも7種がラインアップされていた。販売主力ユニットは1988ccの直列6気筒DOHCの1G-FE型で、最高出力は135ps/5600rpmを誇った。1989年8月からは3ナンバー車の税制が変更されたことにともない、排気量2954ccの直列6気筒DOHCの7M-GE型エンジンも加えられている。まさにバブル景気ならではの豪華なエンジンラインアップであった。ちなみにボディタイプは当時人気が沸騰していた4ドアハードトップのみで、実用的なセダンの用意はなかった。

ボディタイプは4ドアハードトップのみの設定

 チェイサーシリーズは、3姉妹車の中では比較的スポーティーなモデルと位置付けられており、ボディタイプは前述のように4ドアハードトップのみの設定。ボディーシェルはマークIIやクレスタに等しいが、外板のプレス形状やフロントグリルやテールライトユニットのデザインなど細部を変更して独自色を出していた。駆動方式が縦置きフロントエンジンによる後ろ2輪駆動であるというのがオーソドックスなモデルであることを示している。

 デビュー当初のグレードは、装備されるエンジン仕様や装備の違いなどでアバンテ・スーパーチャージャー、GTツインターボからXLまで全部で7種があった。これでもトヨタとしては随分控え目なモデル展開といえるものであったのだ。
 しかし、1990年代に入ってバブル経済の崩壊などにより、徐々にモデルレンジを縮小して行くことになる。チェイサーの名は2001年まで残されたが、兄弟車であったクレスタとともに後継モデルのヴェロッサに整理統合されて、チェイサーの名は消滅した。

月間販売目標台数は7000台!

 1988年に登場した4代目のチェイサーは、空前のバブル景気と快適なクルマを求める“ハイソカー・ブーム”に乗って売れに売れた。メーカーが発表した月間目標販売台数は7000台。これに兄弟車のマークII/2万台、クレスタ/1万台を加えるとマークII3兄弟でなんと3万7000台となった

 しかしこの目標台数も控えめなもので、実際の販売台数は目標を上回ることも珍しくなかった。第4世代のチェイサーが現役だった時代、クレスタを含めたマークII3兄弟は、日本の風景の一部と言っても過言ではなかった。