リベルタ・ビラ 【1986,1987,1988,1989,1990】

パルサーと共通メカニズムのブルーバード・ミニ

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日本車の世界進出が生みだした果実

 リベルタ・ビラがデビューした1980年代という時代は、日本車の世界進出が本格化しており、小型車では生産コストの徹底した削減が絶対条件となっていた。アメリカはもちろんヨーロッパを中心として、ライバルが数多く存在しており、マーケットにおいては性能やスタイリングに加えて、価格の面でも優位に立つ必要があったからである。販売価格を低く抑えるには、生産コストの削減は必須だった。そうしたコスト削減の最も効果的な手段の一つが、同じクラスのモデルのシャシーコンポーネンツの共有化を図ることだった。

 1986年10月に登場した第2世代のリベルタ・ビラは、1982年に誕生した初代同様に日産のパルサー、ラングレーとの兄弟車であり、主要なシャシーコンポーネンツは共通化されていた。いわゆるバッジエンジニアリングと呼ばれる手法である。それは3車とも2430mmの共通したホイールベースや全く同一のエンジンラインアップなどによく表れている。また、全長や全幅、全高などのボディ・ディメンションも数ミリの違いであり、前後バンパーの形状の違いによるものであった。エンジンのラインアップも3車とも同一。どの部分を見ても生産コストの引き下げが意図されていた。

イメージとグレード名は兄貴分のブルーバードを踏襲

 リベルタ・ビラ(Liberta Villa)の車名はイタリア語でLibertaは自由を、ビラ(Villa)は別荘とか屋敷を意味している。日本語に直すと「自由な別荘」となる。言葉の意味より語呂とイメージの良さから付けられたネーミングと言えそうだ。リベルタ・ビラはブルーバードと共通のディーラーが販売を担当したため、全体的にブルーバード・ミニ的に仕上げられていた。フロントマスクやリアランプの形状は意識的にブルーバードの面影が感じられるように工夫が凝らされている。SSSやGFなどのグレード名称もブルーバードと共通だった。

全天候型フルタイム4WDモデルを追加しラインアップ完成

 初代のリベルタ・ビラでは4ドアセダンのみのモデル展開だったが、2世代目になってパルサー系で人気の高かった3ドアハッチバックがシリーズに加えられた。搭載されるエンジンのバリエーションは4種あり、すべて直列4気筒でガソリン仕様が1487ccのキャブレター版(73ps)と電子制御インジェクション版(82ps)の2種と、1598ccのDOHC16V(120ps)を合わせた計3種、これに経済性に優れた1680ccのディーゼル版(55ps)があった。

 駆動方式は、発売直後は横置きエンジンによる前輪駆動のみで4輪駆動の設定はなかったが、1987年1月からは1500セダンに限ってVCU(ビスカス・カップリング)をセンターデファレンシャルに用いたフルタイム4WDシステムを採用したモデルも発売されている。このシステムはパルサー系に採用されていたものを拡大採用したものだ。

お洒落なハッチバックが2代目の人気を牽引

 第2世代のリベルタ・ビラは、基本的なボディスタイルにパルサー系のものを流用しており、フロント部分とリア周りの意匠が異なる程度であった。全体的に大人しい印象に仕上げていたが、ハッチバックのリアビューだけはなかなか斬新だった。カタログでもハッチバックのリアビューが表紙を飾っていた。

 マーチより上位に位置し定番モデルのサニーよりカジュアルな存在だったリベルタ・ビラ(とパルサー/ラングレー)は、どちらかといえばメーカーの拡販戦略の上に誕生したモデルであったが、高性能で高品質、さらに価格的にもお買い得感があったから、メーカーの予想を上回る販売数を記録した。しかし、バリエーションの複雑化と価格の安さは収益の悪化を引き起こし、1990年8月にパルサー系に吸収される形でリベルタ・ビラ(そしてラングレー)の名は消滅する。