フィアット500 【1957〜1977】

イタリア国民の足。 ヌオーバ・チンクエチェント

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


小型実用車のお手本、フィアット500

 「小型実用車を見れば、その国のクルマ事情がよく判る」とはよく言われる。例えば、英国のオースチン・ミニ、フランスのシトロエン2CV、ドイツのVWビートル、そして日本のスバル360−−といった具合。そのなかでもイタリアに生まれたフィアット500は、小型実用車のお手本として、イタリア国内だけではなく、世界的にも高い人気を獲得した。

 フィアット500は、ある日突然生まれたわけではない。最初のフィアット500(500はイタリア語でチンクエチェント)が登場したのは、第二次世界大戦前の1936年のことである。排気量569ccの水冷直列4気筒エンジンをフロントに置き、後輪を駆動するFRモデルだった。

 2人乗りだったが、イタリアの人々は乗れるだけ乗り込み、走り回ることになる。その可愛らしいスタイルから、いつしかトポリーノ(ハツカネズミ)のニックネームで呼ばれるようになり、1948年までに12万台を超える大ヒットとなった。

イタリア国民の足となる新世代“ヌオーバ500”の登場

 1955年にデビューした600を経て、1957年に新世代の500が登場する。いわゆるヌオーバ・チンクェチェント(Nuova Cinquecento)である。ヌオーバとはイタリア語で新しい、チンクェチェントは500の意味だ。設計者のダンテ・ジアコーサは「小型車だからといって2人乗りにすることが必ずしも効率的であるとはいえない」として、600を実用的な4人乗りとした経緯があった。新しい500も、小さいながら4人乗車を可能とする。

 室内スペースを拡大するために、600同様リアエンジン、リアドライブ方式を採用。新設計のエンジンは小型化を前提に空冷2気筒ユニット(479cc/15hp)とし、後車軸のさらに後ろに搭載した。サスペンションは前が上置きIアーム/横置きリーフスプリングのウイッシュボーン式、後はトレーリングアーム/コイルスプリングによるスイングアクスル式となっている。ブレーキは4輪ドラム。車重は470kgと軽く、最高速度は85km/hと実用上十分なものとなっていた。

超コンパクト設計。愛らしいデザイン

 ボディサイズは超コンパクト。ホイールベース1840mm、全長2970mm、全幅1320mm、全高1325mmと、必要最小限ともいえる車体寸法とフルモノコック構造を持つボディは、2ドアのファストバック・スタイルに仕立てて室内スペースの効率的な利用を可能とし、フロントには小さいながらもトランクスペースを生み出す。まさしく“スペース・マジック”ともいえる合理的なパッケージングデザインで、後の世界中の小型車、とくに日本の軽自動車のスタイリングや設計にも大きな影響をもたらした。

 左右のドアは初期型では後ヒンジの前開きだったが、高速道路などで風圧によりドアが突然開き、乗員が外部に放り出される事故も発生したことから、1965年の500Fからは前ヒンジの後開きに変更された。

サンルーフは開放感と静粛性で効果を発揮

 インテリアは実用車らしくシンプルなもので、鉄板むき出しのインスツルメントパネルには小径の速度計が一個あるのみ。スイッチやインジケーター類も必要最小限のものしか装備されていない。

 ルーフはドライバーとパッセンジャー部分がキャンバス製のサンルーフとなっており、後方に巻き込むことができた。これはエンジンなどのこもり音を放出する効果があり、室内騒音を軽減するように考えられていた。左右のドアウィンドウは手動のレギュレーターで開閉することができたが、後部サイドウィンドウの開閉はできなかった。ワイパー駆動に電動モーターを使っていたのは、注目していい部分だろう。

ヌオーバ500の進化と車種設定の拡大

 1958年になると、高性能モデルの500スポルトが登場する。ボディ後部に搭載される空冷2気筒OHVエンジンは、排気量を499.5ccにまで拡大。口径26mmのダウンドラフト(下向き通風)型ウェーバーキャブレターを一基備え、最高出力は21.5hpを発揮した。499.5ccエンジンは、1960年に進化版の500Dにも採用される。最高出力は17.5hpにディチューンされたものの、最高速度は95km/hに達した。

 ヌオーバ500は様々な派生モデルが誕生する。エンジンを横倒しに搭載して、そのうえにラゲッジスペースを生み出した「ジャルディニエラ」と呼ぶワゴン仕様を始め、アバルトがエンジンチューニングを手がけたアバルト595や695などが世に送り出された。

 ヌオーバ500シリーズはその後も発展し、1965年に500F、1968年に500L、1972年に500Rが登場する。そして1977年まで、基本構造を変えることなく生産が続けられた。今日の交通事情では実用にするのは苦しいヌオーバ500。熱狂的なファンが今もなお世界中に数多く存在する。