850 【1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972】

600/500の後継として開発された新世代RR大衆車

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イタリアを代表する大衆車の企画

 1950年代終盤から1960年代初頭にかけて、GDPの伸び率が年率で+6.0%超を記録するなど、目覚ましい経済発展を遂げていたイタリア。米英などからは“奇跡の経済”と呼ばれた好況下で、同国のモータリゼーションも飛躍的に成長していく。その主役を担ったのが、イタリア最大の自動車メーカーであるフィアットが1955年に発表した「600」と1957年に発表した「500」だった。ともにエンジンをリアに搭載したRRレイアウトで、安価な価格設定もあって、イタリア国内での自動車の普及を大いに促した。

 一方でフィアット社内では、ユーザーが600、500の次に購入するであろう次世代の大衆車の姿を検討していく。導き出した答えは、さらなる上級化と性能向上を果たしたクルマ。1960年代が進んでも国内の好況は続くと予想したうえでの、経営陣の判断だった。

3ボックスデザインで上級移行を画策

 ユーザーの上級移行に対応できる新しい大衆車の企画は、コードネーム“100G”のネーミングのもと、600/500と同様に天才設計者ダンテ・ジアコーサの主導で開発が進められていく。基本ボディに関しては、既存の600のモノコック構造をベースに、リアにノッチをつけた3ボックスフォルムを導入する。ホイールベースは600比で27mm長い2027mmに設定。また、ボディ長は360mmほど長い3575mmとし、ボディ幅やリアトレッドも拡大した。シャシーについても600をベースとするが、ボディの大型化や車両重量の増加などに合わせてセッティングを最適化する。懸架機構はフロントにアッパーウィッシュボーン+ロアトランスバースリーフと筒形ダンパーを、リアにダイアゴナルリンクのスイングアクスルとコイル/筒形ダンパーを採用した4輪独立懸架で構成し、前後ともにアンチロールバーのスタビライザーを装備。また、ステアリング機構にはロック・トゥ・ロック3回転半のウォーム・アンド・セクター式を、制動機構には強化した前後ドラム式ブレーキを、シューズには5.50-12タイヤ+4.00-12スチールホイールを導入した。

 駆動レイアウトは600と同様にRR(リアエンジン・リアドライブ)方式で仕立てるが、搭載するエンジンについてはボアを65.0mm、ストロークを63.5mmにまで拡大して排気量を843ccとした新設計の水冷式直列4気筒OHVユニットを採用する。鋳鉄製クランクケースにアルミ製シリンダーヘッド、3クランクシャフトベアリングを組み込み、燃料供給装置にシングルチョークキャブレターをセットした新動力源は、縦置きでリアコンパートメントに積み込まれた。エンジンチューニングは2タイプが用意され、圧縮比8.0の34hp仕様と圧縮比8.8の37hp仕様をラインアップする。組み合わせるトランスミッションはフルシンクロの4速MTで、ギア比は1速3.636/2速2.055/3速1.409/4速0.963/最終減速比4.625に設定。クラッチにはシンプルで整備性に優れる乾燥単板のロッドコントロール式を組み合わせた。

スタイリングは愛くるしいラウンド形状

 開発陣は車両デザインについても大いに工夫を凝らす。3ボックスのボディは、精悍な2ドアセダンのフォルムで構成。そのうえで、600に比べて巧みにモダナイズされたフロントマスクやシャープな2本のキャラクターライン、丸型テールランプを配した個性的なリアビューなどによって、オリジナリティあふれるスタイルを実現した。また、当時の量産モノコックボディ車としては各ピラー類を細めに設定し、室内からの広い視界を確保する。エンジンの重整備に備えて、リアパネルを脱着式としたことも特長だった。

 インテリアに関しては、シンプルかつ機能的なアレンジで各部をまとめる。インパネに配置するのは、ドライバー側に140km/hまで刻んだ台形スピードメーター(燃料計/オドメーターを内蔵)+各種警告灯と3つのスイッチ、センター部に2つの丸形エアダクトと灰皿という簡潔な構成。オプションとして、助手席側にAUTOVOXのラジオが装着できた。また、インパネ下部には物置きのスペースを確保する。ステアリングホイールはφ395mmの2本スポークタイプが標準。シートはフロントがスライド機構を内蔵したセパレート式、リアがシートバック前倒れ機構を組み込んだベンチ式を採用した。

華々しいデビュー、そして車種バリエーションの強化

 フィアットの新世代RR大衆車は、「フィアット850」の車名をつけて1964年5月に市場デビューを果たす。車種展開は、34hp仕様のエンジンを積むベーシックモデルのnormale(ノルマーレ)と37hp仕様のエンジンを搭載する上級グレードのsuper(スーパー)という2モデルで構成。最高速度はnormaleが120km/h、superが125km/hと公表された。
 3ボックスの850ベルリーナ(Berlina=セダン)が市場で脚光を浴びる一方、フィアットの開発現場では850の車種バリエーションの拡大を鋭意画策していく。背景には、国内モータリゼ−ションの発展に伴うユーザー志向の多様化への対応と輸出の増強策があった。

 まずフィアットは、1965年3月開催のジュネーブ・ショーにおいて「850クーペ」と「850スパイダー」を発表する。850クーペは社内でデザインしたオリジナルの2ドアクーペボディを纏って登場。左右両端を盛り上がらせたフロントセクションやなだらかなラインを描くルーフ形状などによって、スポーティかつ上質なルックスを構築する。搭載エンジンは圧縮比の引き上げなどにより最高出力が47hpにまで向上し、最高速度は135km/hと公表された。

スパイダーはベルトーネがデザイン&製造

 一方の850スパイダーは、カロッツェリア・ベルトーネ(チーフデザイナーはジョルジエット・ジウジアーロ)が車両デザインおよび製造を手がけた2シーターオープンで、傾斜したヘッドライトやシャープなボディラインなどを特長とする。搭載エンジンは専用チューニングにより49hpを発生。最高速度は145km/hに達した。また、クーペとスパイダーともに性能アップに合わせて足回り強化し、制動機構にはフロントディスクブレーキを組み込んだ。さらに同年には、600ムルティプラの実質的な後継モデルとなるキャブオーバー型ワゴンの「850ファミリアーレ(Familiare)」とバン仕様(Furgonata)の「850T」も設定する。両車は利便性に優れるマルチパーパスカーとして、市場で高い人気を獲得した。

魅力度を高めるマイナーチェンジを実施

 1968年になると、850シリーズの大がかりなマイナーチェンジが実施される。まず850ベルリーナについては、従来のクーペと同仕様の47hpエンジンを搭載する高性能版の「850スペシャル」を新設定。さらに、クーペとスパイダーは903cc直列4気筒OHVエンジン(52hp)に換装し、車名も「850スポルト・クーペ」「850スポルト・スパイダー」に改称された。

 その後も地道な改良を図っていき、着実にイタリアを代表する大衆車としての階段をのぼっていった850シリーズ。しかし、1970年代に入ると大衆車の高性能化が急速に進むようになり、ユーザーからは600ベースの850の基本メカニズムが旧態依然と捉えられるようになる。市場の意見を重視したフィアットの経営陣は、結果的に大衆車シリーズの大幅な刷新を決断。1971年にはクーペの、1972年にはベルリーナの、1973年にはスパイダーの生産中止を実施した。

 850ベルリーナの後を引き継いだのは1971年デビューの「127」で、パッケージ効率に優れる2ボックススタイルのFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車へと大変身する。また、850クーペはFF車の「128スポルト・クーペ」(1971年デビュー)が、850スパイダーはMR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)車の「X1/9」(1972年デビュー)が実質的な後継を担った。一方、しぶとく生き残ったのがキャブオーバー型タイプの850ファミリアーレと850Tだ。同モデルは1976年まで製造され、さらに同年には改良版のボディおよびシャシーに903ccエンジンを搭載した「900T」シリーズに移行する。その後も市場の要請に合わせた細かなリファインを加えながら販売を継続。最終的に1985年まで基本設計を変えないまま生産が続けられたのである。