124クーペ 【1967,1968,19769,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977】

パワフルなDOHCエンジンを積んだスタイリッシュクーペ

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新世代スタンダード車「124」シリーズの登場

 鉱工業生産の伸びや国際収支の改善などによって、経済が拡大していた1966年のイタリア。この流れに乗るように、同国最大の自動車メーカーであるフィアットは積極策を相次いで実施していく。なかでも重視したのが車種ラインアップの刷新と拡充だった。同年には開発コードをそのまま車名に採用した小型乗用車「124」シリーズを市場に放った。

 124シリーズは3BOXセダンのベルリーナとステーションワゴンのファミリアーレが、最初に発売される。機能優先の箱型ボディに軽量な1197cc直4OHVエンジン(60hp)、ホイールベースを2420mmと長くとって広い室内空間を創出したキャビンレイアウト、前ダブルウィッシュボーン/後トレーリングアーム+パナールロッドの全輪コイルサスペンション、4輪ディスクのブレーキ機構などを採用した新世代小型乗用車は、トータルバランスに優れる実用モデルとして市場から大きな注目を集めた。また、自動車関連の専門家たちもその性能を高く評価。124は、フィアット車として初めてヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞することとなった。

オープンモデルの「スポルト・スパイダー」を追加

 124シリーズのベルリーナとファミリアーレが市場で脚光を浴びているのを受け、メーカーは124のバリエーション拡大の準備を着々と推し進める。そして1966年の秋に開催されたトリノ・ショーにおいて、2ドアオープンカーの「124スポルト・スパイダー」を初公開した。

 124スポルト・スパイダーは従来の1500/1600Sカブリオレの実質的な後継車に位置づけられる。オープンボディのデザインと製作を手がけたのはカロッツェリア・ピニンファリーナ。シャシーは124ベルリーナ用のホイールベースを140mm短縮して2280mmとし、その上に現代感覚あふれる優美なオープンスタイルを構築した。ソフトトップのアレンジにも工夫を凝らし、リアクオーターウィンドウの設定および格納機構の採用やトップ収納時の上面のフラット化、トランクルームの有効容量の確保などを実現する。+2スペースの後席を設けたインテリアも専用デザインで、2本スポークのステアリングに木目のフェイシア、黒地に白文字のVEGLIA製円形メーター、厚みを持たせたうえで中央をメッシュ構造としたバケットタイプのフロントシートなどを装備した。

 搭載エンジンは名エンジニアの誉れが高いアウレリオ・ランプレディが設計した自社製の1438cc直4DOHCユニット(124AC型)を採用する。ボア×ストロークは80.0×71.5mmで、圧縮比は8.9に設定。燃料供給装置にはウエーバー34DFHツインチョ−クキャブレターを装着した。また、カムシャフトの駆動にはコグドベルトを導入する。パワー&トルクは90hp/11.0kg・mを発生し、オールシンクロの5速MTとの組み合わせによって、最高速度は170km/hと公表された。

 現代的でスポーティなスタイルに実用性も踏まえたインテリア、さらに進歩的なメカニズムを内包した124スポルト・スパイダーは、ショーデビューの翌年から販売に移される。生産はピニンファリーナのファクトリーで行われ、脱着式のハードトップもオプションで用意された。

自社デザインの「スポルト・クーペ」のデビュー

 1967年に開催されたジュネーブ・ショーにおいて、フィアットは124シリーズのもうひとつのバリエーションである「124スポルト・クーペ」を発表する。車両デザインはフィアットの自社チームが担当。主導したのは、カロッツェリア・ギア時代にアルファロメオ2500CCやランチア・アウレリア、カルマンギア、自身のスタジオであるカロッツェリア・ボアノ時代にフェラーリ250GTの生産版などを手がけ、1957年からはフィアット技術部門のマネジャーであるダンテ・ジアコーサの招きで同社のスタイリング部門のチーフの任に就いていたマリオ・フェリーチェ・ボアノだった。ちなみに、スパイダーを外部のカロッツェリアに任せ、クーペを社内のデザインチームが担当する開発工程は、1965年デビューの850クーペ/スパイダー(カロッツェリア・ベルトーネ担当)と同様だった。

スタイリッシュなDOHCクーペの高い存在感

 124スポルト・クーペのデザイナー、ボアノはベースシャシーとして124ベルリーナ用(ホイールベース2420mm)を選択。その上にシャープなラインで仕上げたノーズと丸目2灯式のヘッドランプ、低めのウエストラインに広いガラスエリア、ノッチを持たせると同時に空力特性に優れたコーダトロンカ形状に仕立てたリアセクションで構成する2ドアクーペボディを組み合わせる。室内デザインは4名乗りのシート構成を基本に、ウッドフェイシアや専用メーターパネルなどを配して華やかなムードを演出した。

 搭載エンジンはスパイダーと同型の1438cc直4DOHCユニット(124AC型)を採用し、ミッションにはオールシンクロの4速MTをセットする(後に5速MTをオプション設定)。サスペンションは専用セッティングの前ダブルウィッシュボーン/後トレーリングアーム+パナールロッドで、前後ともにアンチロールバーを装備。タイヤは165-13サイズを装着し、ブレーキ機構にはバキュームサーボ付きの4輪ディスクを奢った。

 ショーデビューから間もなくして市販に移されたAC型系の124スポルト・クーペは、スパイダーとは趣を異にする落ち着いた雰囲気の上級スポーティモデルとして注目を集める。また、約960kgという軽量ボディを活かした操縦性の良さや比較的安価なプライスタグも好評を博した。

精悍な4灯マスクでイメージを一新

 124シリーズのイメージリーダーとしての役割も担ったスポルト・クーペは、1970年代に向けて着実な進化を図っていく。
 1969年にはマイナーチェンジを行い、BC型系(1970年モデル〜)へと移行する。フロントマスクは丸目4灯式ヘッドランプとグリルを組み込んだ面一のブラックフェイスに一新。同時に、フェンダーラインの引き下げやリアコンビネーションランプの大型化などを実施する。インテリアではダッシュボードをブラック基調に改めた点が目を引いた。メカニズムに関しては、125BC型1608cc直4DOHCエンジン(110hp)+オールシンクロ5速MTの追加や冷却および制動性能を強化。足回りの設定も見直し、より乗り心地を重視する方向にリセッティングした。

 1972年になると再度のマイナーチェンジが行われ、車両型式はCC(1973年モデル〜)へと切り替わる。エクステリアについては独立タイプのフロントグリルや縦型リアコンビネーションランプの装着、オーバーライダー付き大型バンパーの採用、トランク開口部の拡大(バンパーレベルから開閉)、サイドモールの追加などを実施。インテリアではインパネおよびステアリングの刷新やシート表地の変更などを行う。搭載エンジンは132AC型1592cc直4DOHC(108hp)と132AC1型1756cc直4DOHC(118hp)という2機種の新ユニットに換装され、最高速度は1756ccモデルで185km/hを発揮した。

スペインのセアト・ブランドでも生産

 スポルト・クーペはBC/CC型系になってスペインでも生産されるようになる。販売する際の車名は「SEAT 124 Sport」。当時フィアット車の製造を手がけていたセアトのブランド名でリリースしたのだ。本国イタリア以外でのスポルト・クーペの生産は、スペインが唯一だった。
 124シリーズは実質的な後継モデルとなる131シリーズの登場に合わせて、ベルリーナが1974年、スポルト・クーペは1975年に販売を中止する。一方、スパイダーはアメリカを中心とする海外市場での人気が依然として高かったことから、生産が継続された。
 速くて安くてカッコいい、総合性能に優れたスポーティなクーペモデル−−。そんな親しみやすいキャラクターを持った124スポルト・クーペは、8年あまりのモデル寿命で約28万6000台、セアト・ブランド分と合わせて約31万台の累計生産台数を記録した。日本にも少数が輸入され、その優れた走りでマニアを魅了した、フィアットのスペシャルモデルはアルファロメオの影に隠れ、やや地味な印象を与える。だが実力の高さは折り紙付きである。