ルノー・アルピーヌA110 【1963〜1977】

モータースポーツ史に燦然と輝くフランス産ベルリネッタ



車名は“アルパイン・ラリー”に由来

 ヨーロッパやアメリカなど、外国製モデルにはメーカーの創立者や開発者の名を冠したものが目立つ。フォード、シトロエン、ポルシェ、マセラティ、フェラーリ、ランボルギーニなどがその例だ。そんな中で、車名がモータースポーツに由来する珍しいメーカーがある。そのひとつが、フランスに生まれた「アルピーヌ」である。アルピーヌ(Alpine)の名は、1929年に始まったアルパイン・ラリーに由来する。このラリーで好成績を残したことから、ラリー名のフランス語読み“アルピーヌ”を車名にしたのだ。

 アルピーヌの創立者は、自らもステアリングを握って、多くのロードレースに出場していたジャン・レデール。エンジンやクルマのチューンアップショップであるソシエテ・デ・オートモビルス・アルピーヌ(Societe des Automobiles Alpine=アルピーヌ自動車製造会社)を生まれ故郷のフランス南部のディエップに設立したのは1955年のこと。生家がルノー社の販売店だったこともあり、彼がチューンアップのベース車にルノー製のモデルを選んだのは自然の流れだった。

アルピーヌ車の初陣はミッレ・ミリア

 レデールは、まず1952年と1953年のル・マン24時間レースにルノー4CVで出場。1952年にはテールエンダーの17位で完走している。最下位とはいえ過酷なル・マンを完走したことで、レデールが自身のチューンアップ技術に大きな自信を得たのは、いうまでもなかった。そして、自らのオリジナルモデル開発の必要性を感じ、後のアルピーヌになるモデルの開発に踏み出すこととなる。

 1955年にイタリア北部のロードコースを舞台に開催されたミッレ・ミリア(1000マイル)レースに、ルノー4CVをベースとしたレーシングマシンが出場した。これこそが、レデールが手がけたアルピーヌのプロトタイプであり、クラス1位、2位となる好成績を挙げた。2ドアクーペのスタイリングデザインは、イタリアの巨匠であるジョバンニ・ミケロッティ氏によるもの。レデールはこのプロトタイプを量産化し、「アルピーヌA106ミッレ・ミリア」の名で売り出す。車名のA106は、ベースとなったルノー4CVの形式・ナンバーであるR1060に由来するものといわれる。このA106は、1962年まで生産された。

 ルノー社のバックアップをとりつけていたレデール氏は、1960年にルノー・ドーフィンをベースとした「A108」を売り出す。スタイリングは後のA110シリーズに続くものとなり、ルノー社との関係はさらに強化される。つまり、ルノーの量産モデルの変化と軌を一にして、アルピーヌのモデルも変化を続けることになったのだ。

スポーツカーとして優れた適性を備えた「A110」の登場

 1963年になると、「A110」がデビューする。このモデルは、1960年に登場したA108の後輪サスペンションを、ルノーが1962年に売り出したR8と同様の、よりロードホールディング性能に優れたスイングアクスルとしたもの。この変更により、操縦性は飛躍的に向上し、スポーツカーとしてのポテンシャルはクラスのトップレベルとなった。この初期型A110は日本にも輸入されており、1965年に東京・晴海で開催された外車ショーにも展示されている。当時の日本での価格は265万円。同じ時期のフォルクスワーゲン・ビートル1300が99万円で買えたのだから、いかに高価であったかがわかる。

 A110の構造は、軽合金製チューブのバックボーンフレームにFRP製のボディを取り付けたもの。メインフレームの前後にサブフレームが付き、それに前後のサスペンションが取り付けられる。1965年のA110 1100まではラジエターもエンジンとトランスミッション共々車体後部に置かれていたが、1967年のA110 1300S以降ではラジエターは冷却効率を高めるためにフロントへ移動している。

エンジンの魔術師、ゴルディーニとの出会い

 アルピーヌは1965年から劇的な変化を遂げる。それはエンジンのチューンアップを、あのアメディ・ゴルディーニが手がけることになったのだ。すでに1958年にはルノー・ドーフィン・ゴルディーニのエンジンチューンなどでルノー社と極めて密接な関係にあったゴルディーニが、アルピーヌのエンジンチューンも引き受けることになったのである。

 1967年にデビューするアルピーヌA110 1300Sでは、エンジンをリアに縦置きとして後2輪を駆動するという、アルピーヌ伝統のシャシーレイアウトを採っている。エンジンはルノーのR8用の排気量956ccをベースに、ゴルディーニ氏がチューンしたもの。排気量を1296ccに拡大した直列4気筒OHVで、2基のサイドドラフト型キャブレターと12.0に高められた圧縮比により、120hp/7200rpmのパワーを得ていた。これで車重が625kgと軽かったから、馬力当たり重量はわずか5kg/hp程度であった。性能的には最高速度215km/h、0→1000m加速28秒という。

ラリーでの戦闘力向上を目指して性能アップ

 ラリーフィールドでの活躍を前提に、アルピーヌはさらなる性能向上を目指してエンジン性能のアップを図る。そして、A110シリーズ最強のモデルとして登場したのが、1970年モデルとしてデビューした1600シリーズだった。なかでも1600Sはエンジンをルノー16TSベースとし、直列4気筒OHVで排気量は1565ccのまま圧縮比を10.25にまで引き上げ、ウェーバーキャブレター(45DCOE型)を2基装備するなどしてチューンアップ。最高出力は138hp/6000rpm、最大トルクは14.7kg・m/5000rpmとした。車重は635kgに増えたが、最高速度は215km/hに達した。

 1955年のデビュー当初から、ミッレ・ミリアやアルパイン・ラリーなどの長距離耐久レースを得意としていたアルピーヌだったが、A110系へと発展することで、特に国際的なスポーツカーレースやラリーで圧倒的な活躍を見せることになる。1970年にA110 1600Sがデビューすると、1971年には全ヨーロッパ・ラリー・チャンピオンを獲得したのを皮切りに、1973年には初のワールド・ラリー・チャンピオンのタイトルを獲得している。

 A110は確かに高速サーキットでは大排気量の強力なエンジンを搭載するマシンにはかなわないが、曲りくねったラリーコースや山岳路では、小型軽量なボディと優れたハンドリング、極めてマナーの良いサスペンションに適切なギア比を持つトランスミッション、さらに軽量であるがゆえの十分な容量を持ったブレーキシステムなどにより、ラリーマシンとしてトップレベルのポテンシャルを発揮したのである。この当時のドライバーとしては、ジャン・ラニョッティ選手やベルナール・ダルニッシュ選手、ジャン・ジャック・テリエ選手などの名手がいた。
 A110系アルピーヌは、1977年に生産を中止している。