クラウン 【1962,1963,1964,1965,1966,1967】

スタイリッシュに大変身した国産高級サルーン

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2代目は先進のX型フレーム構造を採用

 RS系クラウンが、ボディースタイルはもとより、メカニズムを一新して新型車のRS40(クラウン)及びRS41(クラウン・デラックス)となったのは、1962年9月のことだった。それまでの、どちらかといえばクラシカルな雰囲気を持った「観音開きクラウン」を見慣れた目からは、それこそ異次元世界からやって来たともいえる、革新的なモデルチェンジとなった。

 シャシーフレームは、ラダータイプからX型フレームとなった。これは当時アメリカ車に多く用いられていた形式で、左右のメインフレームが中央部分でくびれた形になっており、ねじれ強度を向上させることで、シャシーフレーム自体の軽量化と安定した走行を可能としたものだ。当時の国産乗用車のフレーム構成として、先進的なものであった。

 6人乗り4ドアセダンでは標準型のスタンダードと豪華装備を持ったデラックスの2車種があり、デラックスを基本としたステーションワゴンがカスタムの名で用意された。サスペンション形式が各々異なる点も注目して良い。デラックス及びカスタムでは、後輪のサスペンションがトレーリングリンク/コイルスプリングの組み合わせであったのに対して、スタンダード及び商用車仕様(マスターラインの名が与えられた)では左右5枚ずつのリーフスプリングを用いた固定軸となっていた。これは、スタンダード仕様やマスターラインが主としてタクシー向けや貨客兼用と考えられていたためで、一年間で数万kmを走る過酷な使用状況に対処したものだ。

2代目はダイナミックなスタイリングでユーザーを魅了!

 2代目のクラウンはカタログに「自動車工学の粋をあつめてスタイル」と謳うように、低く、長く、広いボディーを持って誕生した。2代目クラウンのボディースタイルはトヨタ社内スタッフの力作で、フラットデッキと呼ばれる一体型となり、フロントグリルはトヨタのイニシャルであるTをイメージし、4灯式ヘッドライトを包み込んだ、ボディサイズは全長4610mm×全幅1695mm×全高1460mm、ホイールベース2690mmで、当時の小型車枠一杯の堂々たる値となっていた。

 搭載されるエンジンは、旧型から流用された3R型で、排気量1897ccの直列4気筒OHV。出力はデラックスが90ps/5000rpm、標準型のスタンダードが80ps/4600rpmであった。トランスミッションはコラムシフトの電磁式オーバードライブ機構付き3速マニュアルが標準仕様であったが、トルクコンバーター付きオートマチック(トヨグライド)もオプション設定されていた。駆動方式はフロント縦置きの直列4気筒エンジンによる後ろ2輪駆動。ブレーキはサーボ付きの4輪ドラム式である。車重はデラックス系1265kg、スタンダード系123kg、カスタム1350kgで、最高速度は140km/hと、当時としても実用上十分以上の性能を発揮した。

クラウンの静粛性を決定づけた2代目

 インテリアも一新され、横置き温度計式の速度計や円形の時計を一体で収めるインスツルメンツパネルと衝突時の乗員への安全性を考慮して、足の周囲から凹凸を排除したデザインとされた。

 2代目の技術的な特徴は、頑丈なX型フレームとモノコック式ボディーの融合にあった。曲げ、ねじれに強いボックス型断面のX型フレームにエンジンやサスペンションなどを組み付け、それを十分な強度を持つモノコック構造のボディーを被せる独自の形式を採用したのだ。

 ボディやエンジン、マフラーなどのマウントはすべて振動を伝えにくい弾性支持で、ステアリングも国産唯一の2ジョイント式だったため、路面からの衝撃を適切に緩和する構造となっていた。X型フレームとモノコック式ボディの融合は、当時の劣悪な路面状況を考慮し、十分な耐久性を持たせるための工夫だった。しかし両者の組み合わせは副産物として優れた静粛性と、振動の少ない乗り心地を生む。この静粛性と振動の少なさは、しだいにクラウン最大のアピールポイントとなった。フレーム+モノコック構造は、路面状況が改善され、モデルチェンジを経てもクラウンの個性として継承される。クラウンが完全モノコックボディを採用したのは1995年発表の10代目(一部シリーズは1991年発表の9代目)からだった。

6気筒エンジンの搭載に合わせ改良を実施

 RS40/41系クラウンは、1963年4月にマイナーチェンジが施される。ボディサイズはエンジンルームの拡大にともなって、ボンネット部分が60mm延長された。これは、将来的に直列6気筒エンジンの搭載を考慮したものであった。

 また、ラジエターグリルの形やフラッシャーのバンパー内への移動などフロント部分の意匠変更、テールライトの発光面積を増やすために矩形になり、ボディー各部にクロムメッキの飾りが増える。アルミニウムのダイキャスト部品が増えて高級感が増した。また、シートベルトなどはオプション設定であったが、そのための取り付けボルトが標準装備とされたのは大いなる進歩といえた。

第1回日本グランプリを制したクラウン

 RS40系のクラウンが、レースで活躍したことはあまり知られていない。1963年5月3日〜4日に、完成間もない三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリで、ツーリングカーC6クラス(1600cc〜2000cc)で争われるC-レースに出場した4台のクラウンは、1位と6位を獲得した。ほとんど標準仕様のままだったが、クラウンの高速耐久性を立証した。続く1964年の第2回日本グランプリでも3位に食い込んだ。

 日本GPが契機となり、各社からセダンをベースとしたスポーツモデルが相次いで登場することになる。クラウンも1965年10月にセパレートタイプのフロントシート、エンジン回転計、フロアシフト、ディスクブレーキ、強化型サスペンション、ツインキャブ仕様の6気筒エンジンを備えたSモデルを市販した。RS40/41系クラウンも歴史に残る名車である。